2012年01月20日
「腸」の未知力
皆さんは千島学説をご存知でしょうか。
千島喜久男博士(1978年没)「血液は実は骨髄ではなく、腸で形成される」というこれまでの医学では到底受け入れられない発見をされました。今でもこの説は一般には認められませんが。
千島説の根本理論は簡単に言ってしまうと「生命はある一定の条件が整うと、無の状態から生まれ出る」というところにあります。
肉体を形成する細胞なども単にその細胞が次から次へと、いわゆる細胞分裂を繰り返すことのみで増殖するのではなく、ゼロのところから新たに発生しているというわけです。
また、この説の中では「断食などして栄養を絶たれた細胞は逆に赤血球(血液)に戻る」とされています。それも例えばイボになっている皮膚部、あるいは癌化した細胞など本来(健康)でない部分からその現象は始まると。
私は科学者でもなく医学者でもないのですが、この千島博士の言われたことは、直感的に正しいと考えています。
要するに生命と言うものですね。これをどうとらえるか。生命は常に新たに新たに次々と絶えず生まれ出ているということですね。
しかも人間においては「腸」という臓器が非常に大切な役割を果たしているということです。
今年に入りやはり放射能汚染の実態が少しずつあらわになってきています。これからこの現実を我々は益々知らされてくるでしょう。
こうした中でこの「真の生命観」に根ざした働きと生活こそが私達の「命綱」となりえましょう。
皆さん、ですから「食」が大切ですよ!何を選んで食するか。そしてバクバクバクバク食べすぎはいけませんよ!
このような行為は一番「腸」を痛めつけますから。
千島喜久男博士(1978年没)「血液は実は骨髄ではなく、腸で形成される」というこれまでの医学では到底受け入れられない発見をされました。今でもこの説は一般には認められませんが。
千島説の根本理論は簡単に言ってしまうと「生命はある一定の条件が整うと、無の状態から生まれ出る」というところにあります。
肉体を形成する細胞なども単にその細胞が次から次へと、いわゆる細胞分裂を繰り返すことのみで増殖するのではなく、ゼロのところから新たに発生しているというわけです。
また、この説の中では「断食などして栄養を絶たれた細胞は逆に赤血球(血液)に戻る」とされています。それも例えばイボになっている皮膚部、あるいは癌化した細胞など本来(健康)でない部分からその現象は始まると。
私は科学者でもなく医学者でもないのですが、この千島博士の言われたことは、直感的に正しいと考えています。
要するに生命と言うものですね。これをどうとらえるか。生命は常に新たに新たに次々と絶えず生まれ出ているということですね。
しかも人間においては「腸」という臓器が非常に大切な役割を果たしているということです。
今年に入りやはり放射能汚染の実態が少しずつあらわになってきています。これからこの現実を我々は益々知らされてくるでしょう。
こうした中でこの「真の生命観」に根ざした働きと生活こそが私達の「命綱」となりえましょう。
皆さん、ですから「食」が大切ですよ!何を選んで食するか。そしてバクバクバクバク食べすぎはいけませんよ!
このような行為は一番「腸」を痛めつけますから。
2012年01月05日
年初にふと思索したこと
皆さんは戦前まで各地にサンカと言われる人々・生活集団がいたことを知っていますか。
この人達は住所不定で一般世間とは一線を画し、基本的に家族単位で生活をなし、手さきが大変に器用で竹細工などで生計をたてていました。
サンカの三種の神器と言われるものが天幕(テント)、自在鈎(ジザイカギ)それにウメガイと呼ばれる両刃の山刀です。彼らにはその他ほとんど所持するものがなく非常にシンプルで身軽な生活をしていました。
彼らの話し言葉は一般人とさほど変わらないのですが、我々とはまったく違う文字をもっていました。
彼らの口承によるとその歴史ルーツは神武天皇、スサノオさらにはニニギノミコトあたりまでさかのぼるようです。
しかし長い歴史の中で彼らは差別・侮蔑・迫害され次第に姿を消していきます。
サンカとはいったい何者なのか?いつごろどこから来たのか?
これまで私達の認識する日本人というのは単一民族的なものではありますが、アイヌや隼人や熊襲の存在は誰しもが多少なりとも知るところです。
作家で日本文化全般に詳しい呉善花(オ ソンファ)さんはアイヌの人達との遭遇から、その精神性・風俗性・宗教性は明らかに日本の文化と深くかかわる同系のものだとしています。
私はこのサンカにこそそれと同様かそれ以上に日本の古層を感じるのです。その古層がいかなるものかについては私なりの答えはありますがここでは触れません。
岐阜県の教育家三宅武夫さんがその幼児期(明治40年頃)、あるサンカの家族との出会いを綴った大変貴重な記録があります。
三宅さんはこの時、世間が言うようなサンカへのマイナスイメージとは真反対に、このサンカの家族の生活と仕事そして遊びと教育が自然に一体となった様子に深く憧憬の念を覚えたのです。
そしてその経験から三宅さんは教育者となられました。
この「ぶらんこ」を活字化し掲載したページがありますのでここに紹介させていただきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/004015 ここをクリック!
大谷真洋facebookへはこちら
http://www.facebook.com/profile.php?id=100002472812636&ref=tn_tnmn
この人達は住所不定で一般世間とは一線を画し、基本的に家族単位で生活をなし、手さきが大変に器用で竹細工などで生計をたてていました。
サンカの三種の神器と言われるものが天幕(テント)、自在鈎(ジザイカギ)それにウメガイと呼ばれる両刃の山刀です。彼らにはその他ほとんど所持するものがなく非常にシンプルで身軽な生活をしていました。
彼らの話し言葉は一般人とさほど変わらないのですが、我々とはまったく違う文字をもっていました。
彼らの口承によるとその歴史ルーツは神武天皇、スサノオさらにはニニギノミコトあたりまでさかのぼるようです。
しかし長い歴史の中で彼らは差別・侮蔑・迫害され次第に姿を消していきます。
サンカとはいったい何者なのか?いつごろどこから来たのか?
これまで私達の認識する日本人というのは単一民族的なものではありますが、アイヌや隼人や熊襲の存在は誰しもが多少なりとも知るところです。
作家で日本文化全般に詳しい呉善花(オ ソンファ)さんはアイヌの人達との遭遇から、その精神性・風俗性・宗教性は明らかに日本の文化と深くかかわる同系のものだとしています。
私はこのサンカにこそそれと同様かそれ以上に日本の古層を感じるのです。その古層がいかなるものかについては私なりの答えはありますがここでは触れません。
岐阜県の教育家三宅武夫さんがその幼児期(明治40年頃)、あるサンカの家族との出会いを綴った大変貴重な記録があります。
三宅さんはこの時、世間が言うようなサンカへのマイナスイメージとは真反対に、このサンカの家族の生活と仕事そして遊びと教育が自然に一体となった様子に深く憧憬の念を覚えたのです。
そしてその経験から三宅さんは教育者となられました。
この「ぶらんこ」を活字化し掲載したページがありますのでここに紹介させていただきます。
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2011年12月23日
第二期味噌仕込み開始
光農会の味噌仕込みがまた始まりました。一年前に仕込んだ味噌は既に販売が始まっています。
今度は二期目で、生産・加工・販売まですべての工程は経験済みですから、さらにさらに気分が高まります。
事業とは「無から有を生み出すこと」。これもその事業であるからには、大きい小さいの問題でなく、こつこつ積み上げる態度が大事です。それが大きな力につながる。二宮尊徳の「小を積んで大を為す」です。
「私達は大地に立ち、自ら能動的に、自らの責任において、他のせいにせず、未来のためにはたらきます」
大谷真洋 face bookページへ クリック! http://www.facebook.com/profile.php?id=100002472812636&ref=tn_tnmn
2011年12月09日
食材へのこだわりについて考える
3・11以来、もともと安心安全を意識してきた人たちの間で益々安心を求める機運が高まり、一方で相変わらずジャンクフードだろうが遺伝子組み換えだろうが、農薬、添加物あげくに放射能だろうが安ければまったく頓着しないというような感覚の人達がいて,意識の極端な二極化が見られます。
後者はともかく、今日は前者の「益々安心を求める」機運について感ずることを述べたいと思います。
ちょっとここで考えたいのは何のためにそのような「安心な食材」を求めるのかということです。
食というのは何といっても人間にとっては命の糧、根本です。ですからごく自然に、よりよいものであってこそ当たり前ではあるのです。しかし現在は当たり前が当たり前でない状況が散見される時代です。もはや放射線によりに多かれ少なかれ日本中が汚染されているというのが大げさでない実態で、私達や子供たちはこの現実と向き合い、そして生きていかねばなりません。
生きていくということ。それはただ生きているのでなく、あくまで人として、人間として健康に、そしてその健康とは文字どおり「心身ともに」ということであって、それは「しあわせ」という万人の共有できる目的であるはずです。
その真の幸せの実現のためいわば重要な要素のひとつに食ということがあるのです。重要な要素ではあるに違いないのですが、あくまでそのひとつであるということです。
ここのところが微妙に大切で、食についての正しい認識・実践をある程度体現したなら、もうここを十分に考慮しなければなりません。それは私の体験として、またいろいろな人達を見聞きしてきて、痛切に感じることです。
空前の悪生活環境にある私達だからこそ、今だからこそ再確認の必要があるのです。
正しい食生活を極めながら最後には病気、災難、不運がのしかかりこれに飲み込まれ、自己の意思に反し「しあわせ」とは言えない終わり方をした人は過去いくらでもいるのです。
それに加えて、でたらめな食生活を続けながら、生来人並み以上の健康体に恵まれ(親やご先祖様に守られ)、そこそこ健康な人がいたりで、食を軽く見る言い訳をつくりだしてしまうことも多々あることは残念なことです。
真に健康・幸運に恵まれるためには第一に何が第一条件か?
それはその人の精神性・生き方考え方にあるといえます。この人生への哲理・思想が健全であるかどうかが人の運命の大方を支配すると言えます。
あの観相の大家水野南北はありとあらゆる観相を研究しつくしたあげく、その人の食のありかたで100%間違いなく運勢を言い当てたとされますが、その当時の江戸時代に比して現代人のその運命を左右する精神性は全体としてかなり劣るでしょうから、現在では食だけで言い当てることはむずかしいと言えます。
結論として、今大切なのは食についての正しい知識を得たなら、より多くの意識を自己内省に向け「何のため・どう生きるか」ということの精神の柱をしっかり持つことかと思います。
ですから、正食についての知識は100%習得、あとは様々なその置かれた環境・立場に応じて臨機応変、実際の生活では60%~70%正しくでよいと思います。 幸福であるために。
*アミ小さな宇宙人
http://www.youtube.com/watch?v=sEcRc0fJaR0 ここをクリック!
*光農会の自然味噌の案内
http://kazu5244.otemo-yan.net/e552876.html
後者はともかく、今日は前者の「益々安心を求める」機運について感ずることを述べたいと思います。
ちょっとここで考えたいのは何のためにそのような「安心な食材」を求めるのかということです。
食というのは何といっても人間にとっては命の糧、根本です。ですからごく自然に、よりよいものであってこそ当たり前ではあるのです。しかし現在は当たり前が当たり前でない状況が散見される時代です。もはや放射線によりに多かれ少なかれ日本中が汚染されているというのが大げさでない実態で、私達や子供たちはこの現実と向き合い、そして生きていかねばなりません。
生きていくということ。それはただ生きているのでなく、あくまで人として、人間として健康に、そしてその健康とは文字どおり「心身ともに」ということであって、それは「しあわせ」という万人の共有できる目的であるはずです。
その真の幸せの実現のためいわば重要な要素のひとつに食ということがあるのです。重要な要素ではあるに違いないのですが、あくまでそのひとつであるということです。
ここのところが微妙に大切で、食についての正しい認識・実践をある程度体現したなら、もうここを十分に考慮しなければなりません。それは私の体験として、またいろいろな人達を見聞きしてきて、痛切に感じることです。
空前の悪生活環境にある私達だからこそ、今だからこそ再確認の必要があるのです。
正しい食生活を極めながら最後には病気、災難、不運がのしかかりこれに飲み込まれ、自己の意思に反し「しあわせ」とは言えない終わり方をした人は過去いくらでもいるのです。
それに加えて、でたらめな食生活を続けながら、生来人並み以上の健康体に恵まれ(親やご先祖様に守られ)、そこそこ健康な人がいたりで、食を軽く見る言い訳をつくりだしてしまうことも多々あることは残念なことです。
真に健康・幸運に恵まれるためには第一に何が第一条件か?
それはその人の精神性・生き方考え方にあるといえます。この人生への哲理・思想が健全であるかどうかが人の運命の大方を支配すると言えます。
あの観相の大家水野南北はありとあらゆる観相を研究しつくしたあげく、その人の食のありかたで100%間違いなく運勢を言い当てたとされますが、その当時の江戸時代に比して現代人のその運命を左右する精神性は全体としてかなり劣るでしょうから、現在では食だけで言い当てることはむずかしいと言えます。
結論として、今大切なのは食についての正しい知識を得たなら、より多くの意識を自己内省に向け「何のため・どう生きるか」ということの精神の柱をしっかり持つことかと思います。
ですから、正食についての知識は100%習得、あとは様々なその置かれた環境・立場に応じて臨機応変、実際の生活では60%~70%正しくでよいと思います。 幸福であるために。
*アミ小さな宇宙人
http://www.youtube.com/watch?v=sEcRc0fJaR0 ここをクリック!
*光農会の自然味噌の案内
http://kazu5244.otemo-yan.net/e552876.html
2011年11月23日
日本の伝統食の底力
NPO日本総合医学会 理事の井上 明先生執筆の大変興味深い記事がありますのでここに掲載させていただきます。
この学会は代替医療の世界ですばらしい実績をあげておられる先生方で構成され、私もご指導いただきました小食・断食療法の甲田光雄博士(故)も嘗てこの学会の会長をされていました。
以下、井上先生の記事
「長崎の原爆投下直後から献身的に被災地の救護・治療に活躍された聖フランシスコ病院の秋月辰一郎医師は「爆心地より1.8キロメートルの私の病院は、死の灰の中に、廃墟として残った。私と私の病院の仲間は、焼き出された患者を治療しながら働き続けた。私たちの病院は、長崎市内の味噌・醤油の倉庫にもなっていた。玄米と味噌は豊富であった。さらにわかめもたくさん保存していたのである。その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療に当たった従業員に、いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。」と著書「体質と食物」(クリエー出版)に書かれている。「わかめの味噌汁と玄米食」で自分の結核を克服したと信じていた秋月医師はスタッフ全員に「わかめの味噌汁と玄米食」を勧めていた。また砂糖(甘いもの)は避けるように指示した。そのおかげで、医師・看護師らは獅子奮迅の働きで多くの命を救い、原爆症を発症したスタッフは一人もいなかったという。味噌や玄米・わかめのたんぱく質やビタミン・ミネラル・繊維・ファイトケミカル等々の総合力によって放射能の害を抑えたとしか考えられない。
広島の原爆では9歳で被爆した小女が玄米で奇跡的に回復し、その後結婚されて7人もの子宝に恵まれた。佐和子さんは足の裏まで焼けた全身やけどのなか、必死の思いで母親を見つけ出した。全身に水をかけられ病院に運ばれ即入院。奇跡的に一命を取りとめたものの、ケロイド(やけどの傷跡)は切っても切っても盛り上がり、夏場はその傷口からウジがわいて、そのウジを取って暮らすのが辛かったという。高校生になるまで、母親は佐和子さんに鏡は一切使わせなかった。こんな醜い顔で結婚もできない。原爆症で白血球も肝機能も低下し、生きる支えはただ一つ、勉強して研究者になり原爆・放射能の研究をしよう。彼女はもう勉強をして広島大学工学部に入学し、放射能の研究一筋の生活に入った。そして玄米食をしていた平賀先生と巡り合う。「玄米を食べて治らない病気はない。原爆症だって治る!」と言われ玄米食を初めた。その効果は数カ月で出てきた。あの焼けただれたケロイドの皮膚がポロポロと剥がれ落ちてきた。髪の毛も眉毛も元通りに戻った。そして平賀先生と結婚し、なんと7人の子供を産み育てたのだ。これも命のある玄米や野菜・海藻の総合力以外の何物でもない。
普段から野菜・海藻多めの日本食で主食は玄米に努めることは勿論だが、原発の事故により放射能が飛散している非常事態の今こそ、多くの人々が玄米・大豆(味噌など)・野菜・海藻の総合力によって何としても自らの生命と健康を守っていただきたいと思う。」
(ここに出てくる佐和子さんとは自然食料理研究家の平賀佐和子さんのことです)
この学会は代替医療の世界ですばらしい実績をあげておられる先生方で構成され、私もご指導いただきました小食・断食療法の甲田光雄博士(故)も嘗てこの学会の会長をされていました。
以下、井上先生の記事
「長崎の原爆投下直後から献身的に被災地の救護・治療に活躍された聖フランシスコ病院の秋月辰一郎医師は「爆心地より1.8キロメートルの私の病院は、死の灰の中に、廃墟として残った。私と私の病院の仲間は、焼き出された患者を治療しながら働き続けた。私たちの病院は、長崎市内の味噌・醤油の倉庫にもなっていた。玄米と味噌は豊富であった。さらにわかめもたくさん保存していたのである。その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療に当たった従業員に、いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。」と著書「体質と食物」(クリエー出版)に書かれている。「わかめの味噌汁と玄米食」で自分の結核を克服したと信じていた秋月医師はスタッフ全員に「わかめの味噌汁と玄米食」を勧めていた。また砂糖(甘いもの)は避けるように指示した。そのおかげで、医師・看護師らは獅子奮迅の働きで多くの命を救い、原爆症を発症したスタッフは一人もいなかったという。味噌や玄米・わかめのたんぱく質やビタミン・ミネラル・繊維・ファイトケミカル等々の総合力によって放射能の害を抑えたとしか考えられない。
広島の原爆では9歳で被爆した小女が玄米で奇跡的に回復し、その後結婚されて7人もの子宝に恵まれた。佐和子さんは足の裏まで焼けた全身やけどのなか、必死の思いで母親を見つけ出した。全身に水をかけられ病院に運ばれ即入院。奇跡的に一命を取りとめたものの、ケロイド(やけどの傷跡)は切っても切っても盛り上がり、夏場はその傷口からウジがわいて、そのウジを取って暮らすのが辛かったという。高校生になるまで、母親は佐和子さんに鏡は一切使わせなかった。こんな醜い顔で結婚もできない。原爆症で白血球も肝機能も低下し、生きる支えはただ一つ、勉強して研究者になり原爆・放射能の研究をしよう。彼女はもう勉強をして広島大学工学部に入学し、放射能の研究一筋の生活に入った。そして玄米食をしていた平賀先生と巡り合う。「玄米を食べて治らない病気はない。原爆症だって治る!」と言われ玄米食を初めた。その効果は数カ月で出てきた。あの焼けただれたケロイドの皮膚がポロポロと剥がれ落ちてきた。髪の毛も眉毛も元通りに戻った。そして平賀先生と結婚し、なんと7人の子供を産み育てたのだ。これも命のある玄米や野菜・海藻の総合力以外の何物でもない。
普段から野菜・海藻多めの日本食で主食は玄米に努めることは勿論だが、原発の事故により放射能が飛散している非常事態の今こそ、多くの人々が玄米・大豆(味噌など)・野菜・海藻の総合力によって何としても自らの生命と健康を守っていただきたいと思う。」
(ここに出てくる佐和子さんとは自然食料理研究家の平賀佐和子さんのことです)
2011年11月10日
食糧一番
このところの世相,殊に3・11以降普通に多くの人々が、さすがにただごとではない何か大きな変化・変革を我々は迎えつつあるのではないかと感じてきていることと思います。世界各地で起こる地震や水害はどれもかってないスケールのものであるし、アラブ中東諸国でのクーデタ・反政府運動、さらにギリシャをはじめとするヨーロッパ諸国での経済破綻そして政治危機。
ニューヨーク・ウォール街に端を発する地球市民レベルでの格差社会への怒りの爆発もとどまるこを知りません。
こういった状況は年末から来年にかけて、益々緊迫感を増し、国家とそして個人生活の上にもいよいよ本当の危機感を抱かざるを得ないところまで来るといわざるを得ません。
これまでにもこのブログのなかで何度もお話してきたことですが、当たり前の人間が本当に本当にこの世において地獄を見るとするならば、それは食糧がないこと、つまり飢餓の時です。
この時節このようなことを言うと不謹慎と思われるかも知れませんが、放射線はそれはそれは恐ろしい一瞬にして生命を破滅させる恐怖のシロモノですが、それは目には見えないだけに「これをなかったことにしたり」「過小に評価したり」ととりあえずは危機をごまかすことはできるのです。
しかし、飢餓・飢饉はより物理的に、そして古典的ではあるのですが、私達にとってストレートに気が狂うほどの受け入れがたい状況を生み出します。断末魔です。まさに江戸時代に残されたあの「地獄絵図」の様相です。(実際には放射能の方が生命全体に与える殺傷力は絶大ですが。)
このようなことは起こってほしくないし、起こらない方がよいに決まっていますが、現状を十分に観察し考慮するとこれは起こると見るべきでしょう。
しかし大切なことは起こる起こらないということの検証ではなく、「備え」ということです。日本でもほんの少し前、戦前くらいまで当たり前に「三年分の食糧の備蓄はしておけ」と言っていたそれです。
本当なら今や立派な近代国家?となった日本ですから、国が政治レベルできちっと対処するべところですが、もういけません。どういいように解釈したところで、この国の指導者にはこのことに対処することを期待することはできません。あのTPPしかりですね。
ですから一人一人の心構えなのです。覚悟なのです。
物理的に準備した者、さらに精神的に覚悟を決めた者にもやはり危機は訪れるかもしれません。しかし、同じ状況にあったにせよ備えがあれば慌てず対処できるということを私達は少なからず経験則として教えられているはずです。
そして、もうここにきては行動することです。だめなものはダメなのです。潔く(いさぎよく)きっぱり決別するモノとは決別し、右回転を左回転にせねばならないのです。
たった今から、今ここからです。
*神宮式年遷宮「鎮守の里」藤井フミヤ ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=yT7K-vWix10&feature=player_embedded#!
ここをクリック!
*光農会の味噌をどうぞ!
*化学処理・熱処理等一切なしの生味噌ですから、菌が生きてます。
*大豆は光農会の梅本さんが栽培の黒大豆 使用
・黒大豆は毒だしのチャンピオンです
・農薬・化学肥料不使用
・黒大豆の黒皮は、その繊維質・酵素をあくまで生かす観点から取り除かず、味噌の中に残しました。
*麹米は、光農会の仲間、五嶋さん、井さん、渡辺さんなどの米を、阿蘇の麹屋さんで麹に仕込みました。
・米については無農薬栽培(200円増し)と普通栽培の2タイプがあります。
*天日塩(伯方の塩) 使用
・塩の比率はミネラルの補給を重視し、また防カビ効果を上げるため一般のものよりやや高いと思われま
す。
*一年間、江戸時代から残る蔵にて熟成
*添加物、着色料、保存料一切不使用
*小売価格
一パック( 800g) 1100円(税込み)
宅配にて発送できます。 4個程度までで約500円でお届けできます。
詳しくは 問い合わせ 0967-25-3818
080ー6409-5948
光農協同組合 大谷

2011年10月31日
光農會の味噌販売開始

私達が昔ながらの手作り味噌にこだわるのは、農家が生産した農産物を農家が加工し、また農家自身が販売することで生産者・消費者双方が経済的にもまた、信頼と安全性の点でも納得のいく関係を築くにふさわしい商品であると考えるからです。
味噌は言うまでもなく日本の伝統食です。伝統食とは何か。
その地に生きる人々がその地で手に入れることが容易なもので、その地の風土に合った方法で生産加工貯蔵する。長い歴史の中で様々な生活上の困難、たとえば江戸時代には幾度となく経験した大飢饉などにもめげず、残り受け継がれてきた食事形態。かつおいしく食べる技法。自然の理にかなっている。かなっているからこそ長い歴史をもっている。言いかえればこの伝統食があったからこそ人々はその地で生き続けることができたと言えます。
逆に、今や日本においては当たり前の食のアイテムとなったパンとかスパゲッティーなども、元はと言えばヨーロッパの伝統食です。一般にヨーロッパは日本より緯度が高く、寒い、空気は乾燥していている。だから米より麦のほうが栽培に適している。ベトウィンなどの先住民がパンをまとめて焼いて貯蔵しておくのを見ても、もともとパンも貯蔵食として生まれてきたことがわかります。トマトソースとなるトマトは日本では雨が多いのでハウス栽培でないと栽培がむずかしい。またハウスでは雨よけはできても本来から言うと自然でないですから、どうしても病害虫が発生しやすくなります。ですから農薬が必要だということになる。このように外国の食形態を日本に持ち込んでも、それは風土を無視して、自然の理に反していますから最終的には色々の不都合が出てきます。この不都合というのは作物にとってだけでなく、これを食した人体にももちろん出てきます。先ほどのトマトの例だと農薬の問題だけでなく、同じトマトでもハウス栽培だと路地ものに比べてミネラルなど何分の一しかありません。戦後の日本の食生活のありようはほとんどがこうしたことになってしまいました。
この点、味噌の原材料である大豆・米は高温多湿の日本の風土に最も適したもので、自然に無農薬栽培が可能です。米からできる麹は高温・多湿という日本独特の気象条件で麹菌を利用することで作られます。味噌はすべての面で自然の理にかなっている最も日本らしい食文化なのです。日本は夏場は蒸しますから汗をかきます、そうすると汗とともにミネラル分も流れてしまう。だからミネラルの欠乏を防ぐために味噌や梅干し、漬けも、あるいは塩でにぎったおにぎりを食してきました。そして誰もが60キロ俵を担げて仕事するほど体は小さくても強靭でありました。今の化学塩でなく昔ながらの塩にはニガリ(ミネラル)がたっぷりです。ミネラルの欠乏はあらゆる病気のもとになることも知られるようになっています。戦後は病院が増えても病人はいっこうに減らない。これも食というものを根本から見直さねばいけないということの証です。現代医療では減塩減塩と今でも言いますがそれは先に述べた日本と西洋の気候風土を考慮したものと言えず、日本においては一定の塩分補給はぜひ必要なのです。
江戸時代の飢饉の際、いよいよ食べ物がなく雑草をたべねばならなかった。しかし雑草はそのままだとえぐみ(アク)が強く食べられない、そこで味噌とともにであれば味噌が毒気をとってくれ、飢えを凌ぐことができたとのことです。
さらに、味噌の様な発酵という科学、すなわち微生物・酵素の働きは放射線被爆に対してすら有効な手立てであることすら認識されつつあります。
このような時にあたり、光農會からこの味噌を縁ある方々に手にしていただける運びとなりましたことは誠に意義深きことであると感ぜずにはおれません。
私共といたしましても謙虚にこのことに鑑み、これを世に送るものであります。
ありがとうございます
光農會(こうのうかい)
「私達は大地に立ち、自ら能動的に、自らの責任において、他のせいにせず、未来のためにはたらきます」

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2011年10月14日
知らされる時
アウシュビッツ、あの第二次大戦での痛ましいユダヤ人大虐殺。このおよそ人間の体験し得るかぎりにおいての極限の状態。
妻も子も失いながら奇跡の生還、獄中あくまで人間として生きうるか、はたまた犬畜生にも劣るものと成り果てるか、このぎりぎり極限の選択の中で精神科医として、あくまで自己と周りの状況を可能な限り、冷静かつ客観的にとらえ続けた。
ヴィクトール・フランクル。
彼のその体験を綴った「夜と霧」。ここには平時では気付き得ない人間の奥の奥に潜む深層心理とそこからくる様々な思考行動パターン、さらにもう一歩踏み込んで人は「如何に生きるべきか」「何のために生きるのか」ということをリアル感をもって読む者に鮮烈に訴えてきます。
この本を紹介すると人によっては「怖くて読めない」「読みたくない」という人もありますが、それはこの本を表面的に解釈しているからで、実は著者の問いかけてくるものはまるっきり正反対の世界、超楽天主義的世界観なのです。
それはこの世での地獄を通して、彼の体験から出てきた哲理と信仰への確信であると思います。「あなたは、いかなる状況にあっても生きるに値する。人生に常にイエス」というメッセージなのです。
90歳まで生きてもう彼はこの世にはおりませんが、この時期この本を改めて手にすると、さらに私達に大きな示唆を与えてくれます。
今はこういった真理に触れた書物がこれまで以上にはっきりと私達にものごとの本質を見通す力を与えてくれます。
また本の中で、人が極限におかれた時どういう思考行動パターンをたどって行くかということを窺い知ることができます。
突如として降りかかったとてつもない不幸に対して人はまるで他人事のように「これは何かの間違いだ、夢なんだ。そうに違いない」と思い込もうとします。
しかし、だんだんにこの不幸な状態を現実のものとして認めざるを得なくなるにしたがい、自己の生命維持への本能との裏返しに、大抵は現実逃避への心理から幻聴幻覚などが始まります。そうして内的自己崩壊へと向かえば、後は肉体的生理的死が待つことになります。
フランクルは述べています。「先の全く見えない毎日の不安と恐怖のなかで、数か月後に迫るクリスマスの日までには連合軍が助けに来てくれるという根拠のない噂が流れ、多くの人がこれを信じ込んだ。風前の灯のごとくある自らの命を、訪れるであろうその日だけをたった一つの生きる拠り所としたものの、待ちに待ったその日は来ることがなかった。そしてこの日を境に多くの者がバタバタと死んでいった。」と。
この収容所ではもはや与えられたものは極寒の中での薄っぺらな囚人服と、僅かで粗末な食事、それに強制労働の他は自由などまったくない。
それでも、フランクルなど生き残り得た僅かな人達は、何がしかの生きる目的を持ちあわせていたために生きて帰ることが、生き抜くことが出来ました。
それは一日一日、一瞬一瞬にまったくの死を意識しながらも、それでも現に今生きている、これまで生かされてきた自分に、活きるに価値があると絶対的自己肯定が出来たからです。
ただし、フランクルの場合は彼自身が自分自身を肯定したと言うより、大いなるもの・天・神から観(み)た自己の絶対的生きる意味を確信したのだと言った方がよいでしょう。
もちろんそれはすべての人に通ずるものとしてのです。
*内閣支持率低下とウォール街占拠運動
http://www.ecg.co.jp/blog/pod-taidan_post_433.php ここをクリック!
*こんな映画が!!
http://www.youtube.com/watch?v=z_ZxTB8mqbk&feature=player_embedded
*シャーマン・キーシャ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=hKYMcfZMHNo
妻も子も失いながら奇跡の生還、獄中あくまで人間として生きうるか、はたまた犬畜生にも劣るものと成り果てるか、このぎりぎり極限の選択の中で精神科医として、あくまで自己と周りの状況を可能な限り、冷静かつ客観的にとらえ続けた。
ヴィクトール・フランクル。
彼のその体験を綴った「夜と霧」。ここには平時では気付き得ない人間の奥の奥に潜む深層心理とそこからくる様々な思考行動パターン、さらにもう一歩踏み込んで人は「如何に生きるべきか」「何のために生きるのか」ということをリアル感をもって読む者に鮮烈に訴えてきます。
この本を紹介すると人によっては「怖くて読めない」「読みたくない」という人もありますが、それはこの本を表面的に解釈しているからで、実は著者の問いかけてくるものはまるっきり正反対の世界、超楽天主義的世界観なのです。
それはこの世での地獄を通して、彼の体験から出てきた哲理と信仰への確信であると思います。「あなたは、いかなる状況にあっても生きるに値する。人生に常にイエス」というメッセージなのです。
90歳まで生きてもう彼はこの世にはおりませんが、この時期この本を改めて手にすると、さらに私達に大きな示唆を与えてくれます。
今はこういった真理に触れた書物がこれまで以上にはっきりと私達にものごとの本質を見通す力を与えてくれます。
また本の中で、人が極限におかれた時どういう思考行動パターンをたどって行くかということを窺い知ることができます。
突如として降りかかったとてつもない不幸に対して人はまるで他人事のように「これは何かの間違いだ、夢なんだ。そうに違いない」と思い込もうとします。
しかし、だんだんにこの不幸な状態を現実のものとして認めざるを得なくなるにしたがい、自己の生命維持への本能との裏返しに、大抵は現実逃避への心理から幻聴幻覚などが始まります。そうして内的自己崩壊へと向かえば、後は肉体的生理的死が待つことになります。
フランクルは述べています。「先の全く見えない毎日の不安と恐怖のなかで、数か月後に迫るクリスマスの日までには連合軍が助けに来てくれるという根拠のない噂が流れ、多くの人がこれを信じ込んだ。風前の灯のごとくある自らの命を、訪れるであろうその日だけをたった一つの生きる拠り所としたものの、待ちに待ったその日は来ることがなかった。そしてこの日を境に多くの者がバタバタと死んでいった。」と。
この収容所ではもはや与えられたものは極寒の中での薄っぺらな囚人服と、僅かで粗末な食事、それに強制労働の他は自由などまったくない。
それでも、フランクルなど生き残り得た僅かな人達は、何がしかの生きる目的を持ちあわせていたために生きて帰ることが、生き抜くことが出来ました。
それは一日一日、一瞬一瞬にまったくの死を意識しながらも、それでも現に今生きている、これまで生かされてきた自分に、活きるに価値があると絶対的自己肯定が出来たからです。
ただし、フランクルの場合は彼自身が自分自身を肯定したと言うより、大いなるもの・天・神から観(み)た自己の絶対的生きる意味を確信したのだと言った方がよいでしょう。
もちろんそれはすべての人に通ずるものとしてのです。
*内閣支持率低下とウォール街占拠運動
http://www.ecg.co.jp/blog/pod-taidan_post_433.php ここをクリック!
*こんな映画が!!
http://www.youtube.com/watch?v=z_ZxTB8mqbk&feature=player_embedded
*シャーマン・キーシャ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=hKYMcfZMHNo
2011年09月26日
文明の波
震災直後の記事にも書きましたが、私達にとって今最も大事なことはいかに巨視的視点に立ち、この時代を捉えていくかということです。つまり10年サイクルの時の流れとして今現在を見るのか、100年なのか、1000年なのか。どのスパンを念頭に日々生きるか。そのことにより、その人その国のモノゴトへの対処、考え方が自ずと定まってくるのです。今日、政財界のトップをはじめほとんどの人々は、10年かせいぜい100年程度でしかものごとをキャッチしていません。本当に大きく大きく時代が変わる時とは残念ながらいつもそうしたものなのです。
世界のこの岐路にあって、我々がどういう方向に向かって生きていくべきなのか(ビジョン・理念)はそのことの確認なくしては見えてはこないのです。
今度の津波は1000年に一度のクラスのものであったことは誰もが知るところです。一方、このところ深刻さの増すヨーロッパ情勢。ギリシャの経済破たんはイタリア・ポルトガルなどにも波及し、ドイツなどの支援国もさじを投げざるを得ない状況になっています。古代ギリシャ、ローマの繁栄を誇るイタリア、大航海時代の先陣を切ったポルトガル。まさにこの2000年近く世界をリードし西洋文明をきらびやかに飾った国々が、明らかにその歴史に幕を引かんとしています。
これらのことから現在は少なくとも1000年スパンのサイクルの変化のただ中にあることは、もはや疑う余地はありません。
しかし、さらに洞察を深めるならばこの文明の波動は1万年サイクルとして見るのが適切かと思われます。なぜか?
それは私たちの知る文明史ではシュメール文明が最古などとされており、これでせいぜいが6千年前。これ以前の文明についてはあったとしてもよく分かっていない。ただ、古い文明の後には当たり前のこととして新しい文明が起こり今があることだけは間違いありません。いくつもの文明が起こりまた壊れまた起きる・・・・。
私たちはこの一つの大きな文明の流れの中で、いわば直線的にテクノロジーを発展させてきたわけです。その結果原子力というものを手にした。しかし、事実として原爆数千発にあたる放射性燃料がこの日本で制御不能の状況になりました。これはどう言い逃れをしたところで地球・人類の滅亡が現実のものとして感じられてしまう状況を一つの文明自身がつくりだしてしまったということです。
この様な一大事は少なくとも、現況我々の知らされた文明史には過去においてありません。
ならば逆説的にこれは6千年を超えた文明の波というものを想定しなければならないのです。
しっかりした立ち位置・起点になるところを定めない限り、方法論をいくら並び立ててもでは次へは進みようがないのです。 続きを読む
世界のこの岐路にあって、我々がどういう方向に向かって生きていくべきなのか(ビジョン・理念)はそのことの確認なくしては見えてはこないのです。
今度の津波は1000年に一度のクラスのものであったことは誰もが知るところです。一方、このところ深刻さの増すヨーロッパ情勢。ギリシャの経済破たんはイタリア・ポルトガルなどにも波及し、ドイツなどの支援国もさじを投げざるを得ない状況になっています。古代ギリシャ、ローマの繁栄を誇るイタリア、大航海時代の先陣を切ったポルトガル。まさにこの2000年近く世界をリードし西洋文明をきらびやかに飾った国々が、明らかにその歴史に幕を引かんとしています。
これらのことから現在は少なくとも1000年スパンのサイクルの変化のただ中にあることは、もはや疑う余地はありません。
しかし、さらに洞察を深めるならばこの文明の波動は1万年サイクルとして見るのが適切かと思われます。なぜか?
それは私たちの知る文明史ではシュメール文明が最古などとされており、これでせいぜいが6千年前。これ以前の文明についてはあったとしてもよく分かっていない。ただ、古い文明の後には当たり前のこととして新しい文明が起こり今があることだけは間違いありません。いくつもの文明が起こりまた壊れまた起きる・・・・。
私たちはこの一つの大きな文明の流れの中で、いわば直線的にテクノロジーを発展させてきたわけです。その結果原子力というものを手にした。しかし、事実として原爆数千発にあたる放射性燃料がこの日本で制御不能の状況になりました。これはどう言い逃れをしたところで地球・人類の滅亡が現実のものとして感じられてしまう状況を一つの文明自身がつくりだしてしまったということです。
この様な一大事は少なくとも、現況我々の知らされた文明史には過去においてありません。
ならば逆説的にこれは6千年を超えた文明の波というものを想定しなければならないのです。
しっかりした立ち位置・起点になるところを定めない限り、方法論をいくら並び立ててもでは次へは進みようがないのです。 続きを読む
2011年09月13日
命最優先
管元首相が告白しています。それは3・11当初、東電側はこの原発事故については責任放棄するつもりでいたということです。まさかと思われるかもしれないですが、それは事実かと思います。
何故かと言うと原子力発電を推進するにあたってはこれまで「もし致命的原発事故が起きた場合は電力会社はその最少限度以上責任は負わなくてもよい。」との前提でこれを行ってきたからです(なんと法的に免責されている)。それもそのはずで、いったん原発事故が起きてしまうとその被害の保障は天文学的数値になるわけで、東京電力どころか日本国ですらとても責任がとれるものではないのですから。現にあのソ連もチェルノブイリの事故が発端で崩壊したのです。それが現実というものです。
言い方を変えると原発は皆で「事故は起こらないと」思い込むこととして推進した訳です。日本得意の「赤信号皆で渡れば怖くない」式できたのです。
原発を推進すると電力会社はもとより、プラント会社、建設会社、地元商店、補助金などを通して周辺生活者までにも経済が潤う仕組みが立派に出来上がっている。社会がそのことを意識してかしないでかは別としてこれを認めてきたのです。このありかたは何も原発に限らず、ほんの日常生活の些細なことから、またこうした国策にかかわるようなことまで隅々にいたるまでそうなつています。
心して考えなければならないことは、こういう社会を他でもでもない私達一人ひとりが容認し、求めてきた、その結果がこうだということです。
「命より経済優先」多かれ少なかれ私たちはこの妄念に取りつかれ、それとは気づかずこの妄念はとどまることを知らず、まるで巨大な化け物と化し暴れ狂っています。あらゆる言い訳と方便を使いながら根本的問題には未だ目を向けず、方向転換出来ずにいる人々。この復興ですら巧みにも、またもや経済の問題にすり替えられようとしているように感じられます。
国民一人一人の自己改革なくして未来はない!これは命がけのことです。 続きを読む
何故かと言うと原子力発電を推進するにあたってはこれまで「もし致命的原発事故が起きた場合は電力会社はその最少限度以上責任は負わなくてもよい。」との前提でこれを行ってきたからです(なんと法的に免責されている)。それもそのはずで、いったん原発事故が起きてしまうとその被害の保障は天文学的数値になるわけで、東京電力どころか日本国ですらとても責任がとれるものではないのですから。現にあのソ連もチェルノブイリの事故が発端で崩壊したのです。それが現実というものです。
言い方を変えると原発は皆で「事故は起こらないと」思い込むこととして推進した訳です。日本得意の「赤信号皆で渡れば怖くない」式できたのです。
原発を推進すると電力会社はもとより、プラント会社、建設会社、地元商店、補助金などを通して周辺生活者までにも経済が潤う仕組みが立派に出来上がっている。社会がそのことを意識してかしないでかは別としてこれを認めてきたのです。このありかたは何も原発に限らず、ほんの日常生活の些細なことから、またこうした国策にかかわるようなことまで隅々にいたるまでそうなつています。
心して考えなければならないことは、こういう社会を他でもでもない私達一人ひとりが容認し、求めてきた、その結果がこうだということです。
「命より経済優先」多かれ少なかれ私たちはこの妄念に取りつかれ、それとは気づかずこの妄念はとどまることを知らず、まるで巨大な化け物と化し暴れ狂っています。あらゆる言い訳と方便を使いながら根本的問題には未だ目を向けず、方向転換出来ずにいる人々。この復興ですら巧みにも、またもや経済の問題にすり替えられようとしているように感じられます。
国民一人一人の自己改革なくして未来はない!これは命がけのことです。 続きを読む
2011年08月31日
家族にもどる
この阿蘇にいて3.11以来私は少なからず避難者・移住者の人たちと遭遇してきました。
そのおかれた立場、生活の場を変えるに至った背景はその人その人により本当に様々で、これをどう受けとめ考えるかということになると、最大限に想像性を膨らまし己が人生のごとく見える部分も見えない部分も含め深く思考しなければ見えてはきません。
この大惨事以降、若者の結婚希望者が増えているとも聞きますが、一方で現地の声を聴きますと夫婦間のコミュニケ―ションすらはかれない家族が増えているとのことです。
これまでの当たり前の生活基盤をすべて失った時、お互い話すべきことを話さずにきてしまったツケが、生き方考え方価値観を共有できない状況として一遍に顕わになってしまった。
ルバング島のジャングルで残留日本兵として30年間たった一人で生き残った小野田さんが子供達にあえて「人は一人では生きられない」と過去にメッセージされています。
生きることはただでさえ大変なことです。その中でも極限の状態から立ち上がり、生還された多くの先人が「生かしあい助け合い」ということを強調されます。
家族こそが先ずは損得なしの生かしあい助け合いの起点になるべきはずのものでないでしょうか。
そのことが調和ある社会への一歩と言えないでしょうか。今、そのことが改めて問われている様に思うのです。 続きを読む
そのおかれた立場、生活の場を変えるに至った背景はその人その人により本当に様々で、これをどう受けとめ考えるかということになると、最大限に想像性を膨らまし己が人生のごとく見える部分も見えない部分も含め深く思考しなければ見えてはきません。
この大惨事以降、若者の結婚希望者が増えているとも聞きますが、一方で現地の声を聴きますと夫婦間のコミュニケ―ションすらはかれない家族が増えているとのことです。
これまでの当たり前の生活基盤をすべて失った時、お互い話すべきことを話さずにきてしまったツケが、生き方考え方価値観を共有できない状況として一遍に顕わになってしまった。
ルバング島のジャングルで残留日本兵として30年間たった一人で生き残った小野田さんが子供達にあえて「人は一人では生きられない」と過去にメッセージされています。
生きることはただでさえ大変なことです。その中でも極限の状態から立ち上がり、生還された多くの先人が「生かしあい助け合い」ということを強調されます。
家族こそが先ずは損得なしの生かしあい助け合いの起点になるべきはずのものでないでしょうか。
そのことが調和ある社会への一歩と言えないでしょうか。今、そのことが改めて問われている様に思うのです。 続きを読む
2011年08月14日
病気は自分で治すもの
旧波野村に漢方医の大村先生が住んでいらっしゃいます。先生は20年前、光農会会長の岩下一之信さんとの縁で約7町歩の原野を購入され薬草園を営まれていました。本当に自由人で全国をあちこち、自らつくりだした漢方薬を行商してまわり、阿蘇にはほとんどお見えにならず、直近では東京に道場をお持ちでそこでお仲間と生活されていました。
そこにあの3・11ということになり、いち早く東京を離れ再び阿蘇へ戻られ本格的に居を構える覚悟をされました。
私も先生のお噂は東京にいた10年以上前からお聞きしていたのですが、今になってお会いできるとは不思議な縁を感じます。
その間先生は自らの思わぬ癌の発病とその克服という体験から、漢方による病気治しから「踊ること」による自己解放、そして病気の治癒という境地に立たれました。
この数か月で次々と協力者も現れ新しい道場(踊り場)も完成し、ここを定期的に縁ある方に開放いただけるとのことです。
一方で先生達は2ヘクタールの畑に雑穀・大豆・陸稲などを自給用として植えられました。このあいだ訪問した際には一年目にして立派に収穫が見込める様相でした。みなさん真っ黒に日焼けして草取りをされていました。
しっかり大地に立って、あくまで命を見つめてたくましく生きる姿がそこにはあります。

:大村先生の雑穀畑、雑草の様に見えますが、手前がアワで後側が高キビ 続きを読む
そこにあの3・11ということになり、いち早く東京を離れ再び阿蘇へ戻られ本格的に居を構える覚悟をされました。
私も先生のお噂は東京にいた10年以上前からお聞きしていたのですが、今になってお会いできるとは不思議な縁を感じます。
その間先生は自らの思わぬ癌の発病とその克服という体験から、漢方による病気治しから「踊ること」による自己解放、そして病気の治癒という境地に立たれました。
この数か月で次々と協力者も現れ新しい道場(踊り場)も完成し、ここを定期的に縁ある方に開放いただけるとのことです。
一方で先生達は2ヘクタールの畑に雑穀・大豆・陸稲などを自給用として植えられました。このあいだ訪問した際には一年目にして立派に収穫が見込める様相でした。みなさん真っ黒に日焼けして草取りをされていました。
しっかり大地に立って、あくまで命を見つめてたくましく生きる姿がそこにはあります。

:大村先生の雑穀畑、雑草の様に見えますが、手前がアワで後側が高キビ 続きを読む
2011年08月02日
イノベーション(技術革新)
我々人間界の発展段階においては大なり小なりの技術革新が必要です。人類の歴史をどこまで大きく見るかにより、過去のそれが何であったかは見方が違ってきます。
3・11以来我々は今までの視野視点を打ち破り全く新たな思考ステージに立つことに迫られています。しかも、それには残された時間はないということです。
人類は太古の昔火を扱うことを覚えた。これは、今日の我々には至極当たり前のことですが、これこそ人類史上最大の技術革新であったと言えます。その次にというといわゆる産業革命の起爆剤となった石化資源の開発です。
今日必要とされる技術革新は少なくともこの二つに匹敵するかそれ以上のものでなければなりません。原子力は本質的にこれは生命というものと相い入れない。IT技術についてもこれはニュートン以来の科学(二元論的発想でありエントロピーの増大)の枠組みから抜け出すことが出来ない以上、両者とも決定打とは言えません。
では何がそうなのかということになると、それは微小の微小の世界である微生物の世界にあるということです。
この微生物技術が科学として認識され、循環型農業と代替エネルギー分野に大胆に導入された時、これこそが真のイノベーションということになります。 続きを読む
3・11以来我々は今までの視野視点を打ち破り全く新たな思考ステージに立つことに迫られています。しかも、それには残された時間はないということです。
人類は太古の昔火を扱うことを覚えた。これは、今日の我々には至極当たり前のことですが、これこそ人類史上最大の技術革新であったと言えます。その次にというといわゆる産業革命の起爆剤となった石化資源の開発です。
今日必要とされる技術革新は少なくともこの二つに匹敵するかそれ以上のものでなければなりません。原子力は本質的にこれは生命というものと相い入れない。IT技術についてもこれはニュートン以来の科学(二元論的発想でありエントロピーの増大)の枠組みから抜け出すことが出来ない以上、両者とも決定打とは言えません。
では何がそうなのかということになると、それは微小の微小の世界である微生物の世界にあるということです。
この微生物技術が科学として認識され、循環型農業と代替エネルギー分野に大胆に導入された時、これこそが真のイノベーションということになります。 続きを読む
2011年07月20日
2011年07月11日
阿蘇でシンポジウム
8月4日・5日「九州経済フォーラム」創立25周年記念として、阿蘇でシンポジウムが開かれます。
肥後銀行の甲斐頭取をはじめ、あのNPO「森は海の恋人」代表の畠山重篤さんなど5名のパネラーが出席されます。
当日は、各界から様々の方が参加されることでしょう。
ここには、甲斐頭取の農林漁業に対する真剣なまなざしと熱い情熱があるのです。
http://www.kyu-ef.com/report/25th_kumamoto/index.html
私としましても阿蘇近郊の農業関係者にぜひとも参加いただきたく思います。
参加費用はちょっとかかりますが、宿泊なし・オプションなしなら、2日間で1万円です。
肥後銀行の甲斐頭取をはじめ、あのNPO「森は海の恋人」代表の畠山重篤さんなど5名のパネラーが出席されます。
当日は、各界から様々の方が参加されることでしょう。
ここには、甲斐頭取の農林漁業に対する真剣なまなざしと熱い情熱があるのです。
http://www.kyu-ef.com/report/25th_kumamoto/index.html
私としましても阿蘇近郊の農業関係者にぜひとも参加いただきたく思います。
参加費用はちょっとかかりますが、宿泊なし・オプションなしなら、2日間で1万円です。
2011年07月07日
歌野氏より(佐賀玄海原発再開での動き)
歌野父です
いま石丸さんから連絡があり、11日の佐賀県議会原子力等特別委員会」は延期になるかもしれないということです。
先日の委員会で厳しい質問した社民党の徳光議員からの情報です。で、議員に直接電話してお聞きした経緯をまとめると
㈰昨日の理事会で当初11日に招聘を予定していた国の原子力安全委員会が出席不可と回答してきた
㈪であれば1日に委員会をやったばかりで開催する意味がない
㈫ただし明日古川知事が直接管首相に来県を要請しに行くが、もし10日までに首相が来ることになれば開催の意味が出てくる
㈬しかし現実には首相が10日までに来る可能性はほとんど考えられない。
㈭以上の条件から11日の委員会開催は延期になる可能性が大。正式には8日の理事会で決定。
以上です。すぐに拡散させてください。
深江さんからのメッセージです。
既報の通り、7.11の佐賀県議会特別委員会は延期になる可能性大ですが、行動は予定通りにやります。
ただし人の鎖のようなアクションはやめ、女性陣のハンストに合流するような雰囲気で意思表示行動を行います。
いま石丸さんから連絡があり、11日の佐賀県議会原子力等特別委員会」は延期になるかもしれないということです。
先日の委員会で厳しい質問した社民党の徳光議員からの情報です。で、議員に直接電話してお聞きした経緯をまとめると
㈰昨日の理事会で当初11日に招聘を予定していた国の原子力安全委員会が出席不可と回答してきた
㈪であれば1日に委員会をやったばかりで開催する意味がない
㈫ただし明日古川知事が直接管首相に来県を要請しに行くが、もし10日までに首相が来ることになれば開催の意味が出てくる
㈬しかし現実には首相が10日までに来る可能性はほとんど考えられない。
㈭以上の条件から11日の委員会開催は延期になる可能性が大。正式には8日の理事会で決定。
以上です。すぐに拡散させてください。
深江さんからのメッセージです。
既報の通り、7.11の佐賀県議会特別委員会は延期になる可能性大ですが、行動は予定通りにやります。
ただし人の鎖のようなアクションはやめ、女性陣のハンストに合流するような雰囲気で意思表示行動を行います。
2011年07月01日
頼りになるもの
現代社会は科学の発展・技術の進歩がめざましい。とどまることを知らない。日々年々便利になるばかり。人々はその便利さ・快適さを求め続けることが人生の目的であり、ただ追われるようにして一日が終わり、一年が過ぎ、そうして一生を終えて行くかの様です。
他人より少しでも、そして他国よりこの便利・快適さを実現するためには先ず経済(お金)である。したがって、戦後社会においては何をするにも先ず、目に見えて計画がたつこと、数値化できること、採算が合うことをいつも大前提としてきた。
しかしこれははっきりと間違っていました。
経済(お金)以上に第一に頼りにするべきもの、それは「よい運命」です。どんな権力者も巨万の資産家も天災・不幸ごと・病気の前には為すすべもない。このことは、これからいやでも時の流れがますますスピード化され、経験として実感としてさらにさらに明らかにされてくることと思います。
個人が国家が世界がよき運命に恵まれるにはどうしたらよいか?
それは、古今東西 聖者・賢者と言われる人達の伝え残した教えに立ち戻ることです。
お金になることならする。たとえよいことでもお金にならないことならしない。こういう現代の常識的な生き方と正反対の教えです。たとえお金にならなくとも、世のため人のためになるならする。何事も自己の心・魂みがき内的向上のために勇んで引き受ける。
これを徹底する人は最後の勝利者であることが教えられているはずです。
他人より少しでも、そして他国よりこの便利・快適さを実現するためには先ず経済(お金)である。したがって、戦後社会においては何をするにも先ず、目に見えて計画がたつこと、数値化できること、採算が合うことをいつも大前提としてきた。
しかしこれははっきりと間違っていました。
経済(お金)以上に第一に頼りにするべきもの、それは「よい運命」です。どんな権力者も巨万の資産家も天災・不幸ごと・病気の前には為すすべもない。このことは、これからいやでも時の流れがますますスピード化され、経験として実感としてさらにさらに明らかにされてくることと思います。
個人が国家が世界がよき運命に恵まれるにはどうしたらよいか?
それは、古今東西 聖者・賢者と言われる人達の伝え残した教えに立ち戻ることです。
お金になることならする。たとえよいことでもお金にならないことならしない。こういう現代の常識的な生き方と正反対の教えです。たとえお金にならなくとも、世のため人のためになるならする。何事も自己の心・魂みがき内的向上のために勇んで引き受ける。
これを徹底する人は最後の勝利者であることが教えられているはずです。
2011年06月23日
おんが川の魂 未来への祈り
皆さんは九州にも鮭が遡上すること、いや昔は遡上していたことを知っていますか。
恥ずかしながら私は知らなかったのですが、福岡の遠賀川がそれです。その嘉麻市大隈には、日本で唯一の鮭神社(奈良時代建立)があります。
鮭は海岸から48キロもの山奥に!しかも、卵から孵化した稚魚がなんとベーリング海で4年間を暮らし、成長して戻ってくる!
そして、いったん鮭の遡上が見られなくなっていた遠賀川に、最近では3~4匹の遡上が見られるようになりました。
青木宣人さんは長年、私財を投げ打って鮭の稚魚を孵化させ放流し続けてきました。ただ放流するだけでなく、近隣の山の手入れや植樹、河川の清掃、農家への循環型農業の指導育成など遠大な視点での環境づくりをされてきたのです。
色々の助けもあってのことではありましょうが、とても常人には出来ることではありません。
しかし、さすがの青木さんもその年齢と孵化施設の老朽化、資金の点で限界を感じるようになられました。
この時期に最後の力を振り絞ってと立ち上がり「遠賀川源流サケの会」を立ち上げ県の理解を得、資金も導入できるところまできていました。そこへあの3・11。予算はカットされることに!
この不思議な魚サケと人の歴史は遠い遠い昔から。また同じく鮭と共に生きた熊も今や絶滅せんとす。
もし、この青木さんの事業がここで絶えればもう少なくとも九州に鮭が遡上することはなくなるでしょう。
私は鮭の会に、祈りと共に寄付金をさせていただきました。
問い合わせ 「遠賀川源流サケの会」
福岡県嘉麻市馬見1830-1
tel 0948-57ー4110
支援金募集
福岡銀行 大隈支店
(普)822652 青木宣人(アオキセンジン)
恥ずかしながら私は知らなかったのですが、福岡の遠賀川がそれです。その嘉麻市大隈には、日本で唯一の鮭神社(奈良時代建立)があります。
鮭は海岸から48キロもの山奥に!しかも、卵から孵化した稚魚がなんとベーリング海で4年間を暮らし、成長して戻ってくる!
そして、いったん鮭の遡上が見られなくなっていた遠賀川に、最近では3~4匹の遡上が見られるようになりました。
青木宣人さんは長年、私財を投げ打って鮭の稚魚を孵化させ放流し続けてきました。ただ放流するだけでなく、近隣の山の手入れや植樹、河川の清掃、農家への循環型農業の指導育成など遠大な視点での環境づくりをされてきたのです。
色々の助けもあってのことではありましょうが、とても常人には出来ることではありません。
しかし、さすがの青木さんもその年齢と孵化施設の老朽化、資金の点で限界を感じるようになられました。
この時期に最後の力を振り絞ってと立ち上がり「遠賀川源流サケの会」を立ち上げ県の理解を得、資金も導入できるところまできていました。そこへあの3・11。予算はカットされることに!
この不思議な魚サケと人の歴史は遠い遠い昔から。また同じく鮭と共に生きた熊も今や絶滅せんとす。
もし、この青木さんの事業がここで絶えればもう少なくとも九州に鮭が遡上することはなくなるでしょう。
私は鮭の会に、祈りと共に寄付金をさせていただきました。
問い合わせ 「遠賀川源流サケの会」
福岡県嘉麻市馬見1830-1
tel 0948-57ー4110
支援金募集
福岡銀行 大隈支店
(普)822652 青木宣人(アオキセンジン)
2011年06月21日
デトックス

昨年、光農協同組合を発足させ、味噌を1トン仕込みました。10月にはいい塩梅(あんばい)ででき上がっていることと思います。
これは私達の仲間で生産した無農薬黒大豆を使い、一切添加物等は使わず昔ながらの方法で仕上げ、味噌倉(江戸時代に出来たもの)に保管されています。今年はさらに仕込みを増やすこととなりました。
光農會というのは、農業の現場から食の大切さを訴え、国内の農業が健全に成り立つことがそのためにも第一条件であり、そのことが社会の様々な行き詰まりを解決するのだという理念に基づいて活動しています。
光農会自体は小さなものです。しかしながら大切なことは、生活であり現場であるわけです。誰かが言ったThink globally(想像力・理念) Act locally (生活・現場)ですね。
この光農味噌はこの理念のひとつの実戦なのです。
3・11以来、この食についての認識はこれまで以上に改められつつあります。
このこと自体は好ましいことと思います。ただ、これを単なるブームや風潮としてとどまらせず、もう一歩踏み込んで、食の生産現場としての今日の農村農業の実体に触れ、皆さん立場に応じてこれを支える側に、少しでも多くの方になっていただきたいと思います。
写真: 友人の今井さんhttp://ameblo.jp/coreplex の関係の出版社からの雑誌、これが売れているそうです。 デトックス(毒だし)
2011年06月09日
拡散から求心へ
この世界はプラスとマイナス、陰陽、明暗、強弱相反する二つの性質との絶妙なるバンスによってなりたっている。これは宇宙真理です。
今日、はっきり明らかなことは地球上のこのニ極のバランスが人間によって極端に壊れてしまったということです。世界が対面せざるを得なくなった放射能汚染の問題はそのことを象徴的に表している。
ことに80年代からはもうただ一方方向に生産拡大、快適さ便利さ(世相の陰性状態)を疑うことなくひた走った。今度の震災後の現在も根本はその傾向を変えることができずにいます。
人々の意識は絶えず外へ外へと膨張するばかりで、身体がメタボなこと以上に精神性のメタボがより深刻です。残念なことにこのことは日本人に顕著に言えることです。もう何もかもが「ぷにょぷにょ」で締まりがない。核、中心、求心性を失い、ふわふわと拡散するいっぽうで、希薄にすべてが膨張していくだけです。
そして環境ホルモン、放射能汚染などによる手のつけられない状態で、世は陰性の極と言えます。
このままでは、世界は空中分解で本当にすべての生命を一度清算させられることになります。
ですからはっきりと、大胆に陽転(引き締めの作業)せねばならないのです。
意識は外へ(情報集め)ではなく一度、より内側へ向かわねばなりません。形あるモノなきモノもすべていったん全部放すのです。まだまだ皆、ナニカにしがみ付いて離さないのです。そうでないと生きられぬと思い込んでいます。もっともっと心身ともに、スリムにすっきりせねばなりません。
「汝自身を知れ」とソクラテスは言ったのです。
汝自身とは、すべて手放してもなお絶対的に存在して、ブレない自分ということです。嘗ての日本人が大切にしてきたものです。それは縄文の精神から武士道精神まで一貫して流れるものです。
「災い転じて福をなす」「大陰転じて陽となる」大自然により諭される前に、悟れ 日本人!
今日、はっきり明らかなことは地球上のこのニ極のバランスが人間によって極端に壊れてしまったということです。世界が対面せざるを得なくなった放射能汚染の問題はそのことを象徴的に表している。
ことに80年代からはもうただ一方方向に生産拡大、快適さ便利さ(世相の陰性状態)を疑うことなくひた走った。今度の震災後の現在も根本はその傾向を変えることができずにいます。
人々の意識は絶えず外へ外へと膨張するばかりで、身体がメタボなこと以上に精神性のメタボがより深刻です。残念なことにこのことは日本人に顕著に言えることです。もう何もかもが「ぷにょぷにょ」で締まりがない。核、中心、求心性を失い、ふわふわと拡散するいっぽうで、希薄にすべてが膨張していくだけです。
そして環境ホルモン、放射能汚染などによる手のつけられない状態で、世は陰性の極と言えます。
このままでは、世界は空中分解で本当にすべての生命を一度清算させられることになります。
ですからはっきりと、大胆に陽転(引き締めの作業)せねばならないのです。
意識は外へ(情報集め)ではなく一度、より内側へ向かわねばなりません。形あるモノなきモノもすべていったん全部放すのです。まだまだ皆、ナニカにしがみ付いて離さないのです。そうでないと生きられぬと思い込んでいます。もっともっと心身ともに、スリムにすっきりせねばなりません。
「汝自身を知れ」とソクラテスは言ったのです。
汝自身とは、すべて手放してもなお絶対的に存在して、ブレない自分ということです。嘗ての日本人が大切にしてきたものです。それは縄文の精神から武士道精神まで一貫して流れるものです。
「災い転じて福をなす」「大陰転じて陽となる」大自然により諭される前に、悟れ 日本人!



