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Posted by おてもやん at

2023年10月26日

我が生活スタイル

                  
私は毎年同じものを作付け。  これは白ご飯に入れて炊きこむとスゴくおいしいアマランサス。 古代インカで食されたという。
私のお気に入り。玄米もいいがこれもまた体と味覚によしー


次に私が大切にしてきたモノ。 ヒエ!!  これがまた最高においしい。 昔椎葉村のクニ子さんから種を分けてもらった。
クニ子さんも雑穀でもヒエが一番おいしいと言われた。そして食べ物がない戦中戦後、高価な物品と引き換えを請い町から訪れる人たちがいたという話。

                  


山仕事や村内の農家やらの草刈りを営みに、一方でこの自給農はリラックスな趣味と実益の贅沢時間。


天気のいい日は収穫モノを天日干し。

                    
仕事仲間も自らの畑シゴトに勤しむ。 こちらは本格有機農業で販売目的。



  


Posted by 大谷 真洋 at 19:45Comments(0)食と健康

2023年09月20日

歴史を知り今を生きる

1923年(大正12)関東大震災。
西欧の東方侵略主義から、超難産の末の維新を果たし、かろうじて独立をたもった極東の国日本。幸か不幸かアジア初の列強入を果たし、自由民権大正デモクラシー気運高まるその繁栄のシンボル東京が一瞬にして壊滅。      「驕り」 大自然のゆり戻し。

1929年世界大恐慌(昭和4)
既に物質文明極めたアメリカで株の大暴落。 一夜にして暗黒。
農産物は畑には十分あるのに、消費者の手元には届かない。 人間仕組み(経済)の崩壊。 世界中に飛び火。 昭和恐慌。お金は「紙切れ」となる。  泣きっ面に蜂。

追い詰められた者は被害者意識譫妄が高まり、多くの場合その状況が苛烈であればあるほど、自己の外に悪者探しを始める。「魔女狩り」

本当に「食えなくなった時」、その時こそ試される。それでも「人」として生きるか「獣」に落ちるか!


そこに
1936年(昭和11)226事件。
国民を震え上がらせたクーデター。 疲弊する世情。切羽詰った不安怒りを背景に軍内部からの反乱が起こる(貧しき農村から若者が徴兵された)。  皮肉なことに、このエネルギーを天皇の名の下(徳)において、これをどうにか同じ「軍」で収束させたことで、逆に軍の台頭を招く。   もはや止められず。 運命はロックオンされた。

1941年(昭和16年)真珠湾攻撃で始まり  原爆投下で終結。

              そして「福島」  


「転ばぬ先の杖」 平時、恵まれた時にこそ感謝。 油断、傲慢、驕りは大敵。 常に謙虚に、反省。 整理整頓。 やりっぱなしはいけない。マイナス運命(ど壷にはまる)は、走り出し加速が付いては、もはや「人間智」では止められない。

このことは、一人ひとりの人生においても当てはまります。

事実、お釈迦様 キリストをして、戦争(巨大な悪想念の嵐)は止められなかったのですから。

先人の残した偉大なる知恵も、平時にこそ胸に染み込ませてはじめて意味がある。 そう思います。                      
                                


Posted by 大谷 真洋 at 10:53Comments(0)歴史と文明・未来

2023年09月20日

日本人とキリスト

勝海舟も西郷隆盛も、祖先が物部(忍者)であったとするのもわからぬでない。忍者は自己の功績は決して語らず残さぬものらしい。
それにしても、勝や西郷が中国の古典や禅に学んだことは知らされていても、キリストにうたれ洗礼まで受けていたとはー

確かに、勝の「負けるが勝ちよ」(彼はただ一人日清戦争に反対であった) 、あるいは西郷の「敬天愛人」(西郷が征韓論者であったとする現代の歴史観は誤った認識)などいい残した言からして、キリストの説く「赦し・愛」に通ずるものは感じられる。
一方でそれでもなほ、維新の根底にあったものは日本人のDNAに刻まれた縄文以来の「カンナガラ」の道(古神道)であったなればこそ、元はひとつである「真理の教え」が何層にも重なり腑に落ちたのだとも理解できる。少なくとも江戸血開城まではその「見えざる大きな力」により日本が導かれたものと思われる。

歴史は、表層に伝えられるそれと(教科書的な),裏の世界(陰謀論的なものも含む),さらに加えて宗教的それ(正しくは信仰的)の三段構えで捉えなければなかなか真相は見えてはこない。
ことに、最後の項目は歴史上ほんの一握りない場面と人の織り成すドラマで、決して知識や頭で理解できるものではなく、パッと「感じられるもの」でしかなく、ここが現代人には大きな壁となりがちだと思える。

私の言う信仰とは、今流行りのスピリチュアル的なものとは少し違っているかも知れぬ。 それこそ言葉ではなかなか説明できない。もっと地道な自己内省的なものと言えばいいのだろうか。キリストに言う「右手に行なった善行は、左手には忘れさせる」あるいは、菅原道真の「心だに 真の道に叶いなば 祈らずととても 神や守らん」こんな感じのものであろう。
そこにはたった一人と成り果ててでも、天 なるもの神なるも 大いなるもの something great のみを見つめ、求めてやまぬ ひたすらなる誠実な姿が思い浮かばれる。
今こそ私たち一人一人にまったくのその「主体者」としての態度が求められているに違いない。



  


Posted by 大谷 真洋 at 10:42Comments(0)歴史と文明・未来

2023年09月20日

宗教というより信仰

先日NHKであの「大本教」と教祖 出口なお 王仁三郎のことをやっていた。

知る人は知るがほとんど一般には忘れ去られていること。明治から昭和にかけてピーク時には800万の信者を誇る大教団。(当時の総人口7000万)
その番組の中で頭に残るコメントが一つあった。それは例えば吉野作造などの運動家や白樺派の文芸術家などに象徴される「大正デモクラシー」の機運運動は理想は高く素晴らしいが、当時貧しく疲弊した圧倒的多数の「農村庶民」には必ずしも浸透共感し得なかったというもの。

それに比し、この教派神道系の教えは大元教だけでも総人口の一割、その他日本固有のこの古神道の流れの教派はいくつも当時存在しており(あるものは仏教の形またあるものはキリスト教というふうに存在した)、いかに広く「根底にあるもの」が日本人に受け入れられていたかということがわかる。 宗教と言うだけで毛嫌いする今の日本からはちょっと想像できないのが当時の状況かと思われる。
しかしこれらの「教え」は一様に天皇を中心に据え、世界平和を訴え行動(一部の軍部 政治家 財界などの重鎮も直につながる)していたのもまた歴史的事実で、これを同じく天皇を声高にする軍部と特高がすべて「天皇に対する不敬罪」の名目で逮捕糾弾撲滅してしまった。
こういう「事実」は教科書はもちろん相応の人でもあまり知ることはない。

西郷にせよ海舟にせよ鉄舟にせよ実務家であったことに間違いはないが、この人たちもまた「禅」と言う日本固有の宗教(古神道の実践)に裏打ちされた存在であったことを忘れてはならない。  またそのことは多少色合いが違っても尊徳や賢治やあるいは幸之助についても流れるものは同じだと感じる。

世界の歴史を見ても少なくとも何世紀に一度の変革期となると必ず宗教的天才が現れるなど、「絶対」を覆しうる宗教的見地抜きにこれを語ることはできない。

  


Posted by 大谷 真洋 at 10:30Comments(0)歴史と文明・未来

2023年09月20日

教科書で習わない「終戦の顛末」

ここに紹介させていただくビデオは、ある友人から一枚のCDを頂き、皆様にもぜひお聞きいただきたく思い、ユーチューブにアップロードしたものです。
終戦から30年経った時点で、故人:迫水久恒氏が講演されているものです。迫水氏は終戦時、鈴木貫太郎内閣書記官長であり、岡田啓介、近衛文麿、若槻礼次郎など開戦に反対の立場をとる6人の首相経験者と密かに通じ、東條内閣を降さしめるなど、事実上の事務局長として日本をぎりぎりのところで、少なくも「国のカタチ」として残さんと命をかけて奔走した方です。本当のインテリジェント・オフィサーと言えましょう。
戦争という人心の乱れが極まり「巨大な嵐」となった様相に、人は為すすべもない。それでもあの時代、このような「勇気と良心」は大事な場面であくまで健在であったのです。
ここには「御前会議」での知らぜらる昭和天皇と重臣とのやりとり様子が克明に明かされています。当時は今日の我々には想像計り知れない世情と我が国を取り囲む世界情勢があり、国のリーダ達が文字通り命を懸け、祖先と郷土・国・子孫のために働かれたことがひしひしと伝わります。
昨今では「お偉い方」にはことごとく失望させられ、大戦の反動からも、なんでもかんでも「陰謀」や「権力悪」でとらえられ片づけられる風潮もあり、このことがかえって世の中の落ち着きのなさ、混乱の原因になっているとも思えてきます。

この迫水さんの語り口からは誠実さ「真」が感じられ、今こうして我々が生き生かされていることの「ありがたさ」、謙虚に謙虚に「足るを知り」、先祖には手を合わせ、未来には「責任」をもって生きなければならないそのように改めて思わずにおれません。 

約1時間


  


Posted by 大谷 真洋 at 08:46Comments(0)歴史と文明・未来

2023年09月20日

「夜と霧」 Vフランクルからの人類への贈り物



この記事は、原発事故のあった年の10月に記したものです。
今日これから起こるであう社会現象になぞらえたものです。

アウシュビッツ、あの第二次大戦での痛ましいユダヤ人大虐殺。このおよそ人間の体験し得るかぎりにおいての極限の状態。
妻も子も失いながら奇跡の生還、獄中あくまで人間として生きうるか、はたまた犬畜生にも劣るものと成り果てるか、このぎりぎり極限の選択の中で精神科医として、あくまで自己と周りの状況を可能な限り、冷静かつ客観的にとらえ続けた。
ヴィクトール・フランクル。
彼のその体験を綴った「夜と霧」。ここには平時では気付き得ない人間の奥の奥に潜む深層心理とそこからくる様々な思考行動パターン、さらにもう一歩踏み込んで人は「如何に生きるべきか」「何のために生きるのか」ということをリアル感をもって読む者に鮮烈に訴えてきます。
この本を紹介すると人によっては「怖くて読めない」「読みたくない」という人もありますが、それはこの本を表面的に解釈しているからで、実は著者の問いかけてくるものはまるっきり正反対の世界、超楽天主義的世界観なのです。
それはこの世での地獄を通して、彼の体験から出てきた哲理と信仰への確信であると思います。「あなたは、いかなる状況にあっても生きるに値する。人生に常にイエス」というメッセージなのです。
90歳まで生きてもう彼はこの世にはおりませんが、この時期この本を改めて手にすると、さらに私達に大きな示唆を与えてくれます。
今はこういった真理に触れた書物がこれまで以上にはっきりと私達にものごとの本質を見通す力を与えてくれます。
また本の中で、人が極限におかれた時どういう思考行動パターンをたどって行くかということを窺い知ることができます。
突如として降りかかったとてつもない不幸に対して人はまるで他人事のように「これは何かの間違いだ、夢なんだ。そうに違いない」と思い込もうとします。
しかし、だんだんにこの不幸な状態を現実のものとして認めざるを得なくなるにしたがい、自己の生命維持への本能との裏返しに、大抵は現実逃避への心理から幻聴幻覚などが始まります。そうして内的自己崩壊へと向かえば、後は肉体的生理的死が待つことになります。
フランクルは述べています。「先の全く見えない毎日の不安と恐怖のなかで、数か月後に迫るクリスマスの日までには連合軍が助けに来てくれるという根拠のない噂が流れ、多くの人がこれを信じ込んだ。風前の灯のごとくある自らの命を、訪れるであろうその日だけをたった一つの生きる拠り所としたものの、待ちに待ったその日は来ることがなかった。そしてこの日を境に多くの者がバタバタと死んでいった。」と。
この収容所ではもはや与えられたものは極寒の中での薄っぺらな囚人服と、僅かで粗末な食事、それに強制労働の他は自由などまったくない。
それでも、フランクルなど生き残り得た僅かな人達は、何がしかの生きる目的を持ちあわせていたために生きて帰ることが、生き抜くことが出来ました。
それは一日一日、一瞬一瞬にまったくの死を意識しながらも、それでも現に今生きている、これまで生かされてきた自分に、活きるに価値があると絶対的自己肯定が出来たからです。
ただし、フランクルの場合は彼自身が自分自身を肯定したと言うより、大いなるもの・天・神から観(み)た自己の絶対的生きる意味を確信したのだと言った方がよいでしょう。
もちろんそれはすべての人に通ずるものとしてのです。

  


Posted by 大谷 真洋 at 08:10Comments(0)歴史と文明・未来

2023年09月13日

寺尾勇さんを偲ぶ

寺尾勇さんが亡くなられた。農業者として立ち、日本を憂い、アフリカで稲作を普及、そこで現地の人々の暮らしを救い、帰国後も一貫して現場で人としてどう生きるかを(健康と平和)問いかけ続けた人。その寺尾さんと直前までご縁を頂いた私(大谷)が、先日「魂の放火魔」改めの「のんびりおじさん」こと井上祐宏氏からの呼びかけにより亡き氏との思い出を語り会う録画


  


Posted by 大谷 真洋 at 08:20Comments(0)農と自然

2023年09月13日

小さな林業  技と技術  (大型機械に頼らない)

シリコンバレーで長くしのぎを削り活躍するも、その先に日本の縄文をみた。この八木さんは今は阿蘇に住み全国に人とstoryを追う。そしてYAGIFLIXなるもので発信している。
その中に私(大谷)の仕事場、取材されました。

現代型の「大型高性能機械を使う林業」でなく、小型機械により身体と知恵、技術を磨く。 

半林半X的農山村での暮らしの実現。

自然とともに暮らす生き方の実践。










  


Posted by 大谷 真洋 at 07:36Comments(0)農と自然

2021年01月01日

天とともに

2020年も終わり新年となりました。
年ごとに人々が背負う不安感、それがいよいよ具体的に目に見えるかたちで迫りくる様相が見て取れます。昨年暮れあたりからいろいろと思索する中で、私が長く気に留めておりますところのお二人(故人)による講演録に聞き入り、今一度確認し思うところ多々でした。
「負けるが勝ちよ」「結果は後からついてくる」「急がば回れ」「若いうちは苦労は買ってでもせよ」。
私などは(1965年生まれ)幼い頃、家庭や学校で幾度か聞かされていた記憶の残るそれらのフレーズ。今の時代ではどうでしょう?もうそういった考え価値観は流行らない、忘れ去られたということになりますか。80年代からバブル期を通し「目に見えた、目の前にある成果のみを求め、性急にひたすら競い合う」そんな風潮に浸かり、さらにIT、AIの本格到来で(それ自体が必ずしも悪いこととは思いませんが)、そうした仕事観、生き方に歯止めがかかりません。
私たちの国・風土が長い長い歴史の中で、どこか根底に持ち合わせていた哲理、知恵のようなもの。これらをぜひ取り戻さねばならないと思います。
この講演録をYouTubeでアップロード致しましたので、よろしければお聞きください。

終戦の秘話:迫水久常
https://www.youtube.com/watch?v=5373dtwEBow
https://www.youtube.com/watch?v=_7-JlwuHuSk

真理に副う生き方:常岡一郎

  


Posted by 大谷 真洋 at 18:01Comments(0)世間・時事

2019年06月12日

日本のかたち

原子爆弾製造技術は当初日本でこそ構築されていたという話がある。そして、投下後の収束技術も同時に持ち合わせていたとの説もある。事実のほどはわからない。
いずれにせよドイツを牽制し、実際に利用投下したのはアメリカで、広島と長崎に落とされた。諸説様々であるが、なかに昭和天皇が「新型爆弾」開発利用を拒んだとの話もある。+と-両極の科学技術は人によりてか、天のはたらきか、人類世界の来るべき時(精神の成熟)を待ち、封印されたのだろうか?

日本には「恥」の文化なるものがあった。
中学の時、担任の先生が「恥」という字を教室の黒板の上に掲げていたことをよく覚えている。それは「言われたからする」「叱られたからしない」ではない。「ルール―があるから守る」ではない。
「立法・契約」以前の、人として内なる「良心」から発露するもの。この「列島」においてはかなり古い歴史以前から、そのように人々は生活してきたものと思われる。
そうして100年ほどの押し寄せる近代化の波に際し、人類意識発展の過程としてか、否応なしに対応を迫られ、「明治憲法」の制定となった。本来の「風土」にそぐわぬものを適合させたこの憲法は、ギリギリのところでのすり合わせの成果。
昭和天皇はこの「立憲君主制」の意味を深く理解していたため、開戦にいたる過程においても国の方向性(軍事、政治)を自らが指し示すことは断じて控えた。それでもポツダム宣言受諾如何の際には、いよいよの御前会議で決定的指針を示されたことは知られる事実である。それもあくまで「意見としてである」と前置きがあり命令ではない。もう一つ、現憲法制定直前に全くの捨て身でマッカーサー長官に会い、その後の憲法制定と占領政策の変更に実に大きな影響を与えた。

「立憲」の精神に重きを置きつつも、国(国民)の尊厳と最大の危機の狭間にたち苦渋の紙一重なき決断と行動をされ、最後には全ての責任を一身に引き受けんとした昭和天皇。
人として、中心者として尊敬、誇れる存在。言えば血筋も途絶え、入れ替わり説などもありしも、このような人格を生み出す背景と歴史は、偶然や容易に説明のつくものではなく他に比するものはないと思わずにおれない。

これは一個人、一家族としても脈々と受け継がれる「人格」としてそのようにあったならすばらしい社会(地域・国)も期待出来るものと思う。



最近はブログ投稿少なくなっています。 face bookは継続中ですー     
http://www.facebook.com/profile.php?id=100002472812636&ref=tn_tnmn

  


Posted by 大谷 真洋 at 19:14Comments(0)歴史と文明・未来

2019年05月21日

熊本震災の日

14日(木)21時30分頃、私は家にいた。「ズドーン」と縦揺れがきた。この産山村が震源地であるとニュースで度々伝えられるのであるが、それは確かな実感でもある。とにかくこの地震は「ちょっと違う!!」ととっさに思った。
私は16日(土)に県内外から40人ほどが集まっての「あその風」総会を予定していた。その準備や昨年来からの諸々の「地域活動」でとても忙しくしていた。
ところが、14日の夜この地震があり、私は明けて翌朝15日(金)6:00前にその会合の中止を決めた。それで急に時間にゆとりが出来たため、気にかけていた用事をいくつか済まそうと村を下ることにした。
8:00頃に家を出て先ず「阿蘇市」で用事を済まし(のちに阿蘇神社倒壊)、さらに「南阿蘇村」の立野地区に向かった。そして目的の知人経営者の事務所までの道順に迷い、12時間後に崩落することとなる「阿蘇大橋」の前を何度も行き来し、ようやく昼頃に到着した。久しぶりに会う社長としばしお話し、その間もドーンドーンと地響きが時々あった。注文していたバイオ肥料を軽トラに積み込み、そこを後にする。途中15:00頃、頼まれていた肥料の半分を高森町の知人農家で降ろし間もなく、もう一軒別の用事で知人農家にも寄った。慌ただしく、さらに波野の農家を最後に訪ねた時には17:00となっていた。ちょうどよいところに来てくれたと歓迎され、思わぬ夕食を頂くことになり、夜遅く22:00まで話し込むこととなった。
そして家に戻り、SNSなどで連絡やり取りの間も地震が頻繁になり始めた。疲れもあり布団にも入らず、うとうととしていたところ、明けて16日1:30頃「ドカーン」ときた。震度7クラス。14日のそれよりも明らかに大きいものであった。

今になり少しずつその被害が実に甚大であったことが認識されてきているように思うのだけれど、その割には死傷者数がさほどでもなかったかに思えるのは、二回目の地震が深夜であったこと、さらに先の14日の地震も大きいものではあったため既に避難体制であったであろうことも言わば幸いしたことと思う。

この自らが「当事者」としての震災の顛末を見たとき、人の「未来:運命」は自分の意思・思い願いからかけ離れたところの、もっともっと大きい「流れ」のようなものに支配れているという感慨をジわーと今さらながら味わっている。

その「流れ」、運命といってもよいが、「流れ」であるならの乗り様(BiG WAVE:サーファーのように)、「運命」というならよりよいものに恵まれる、その「コツ」があるものと想う。

その、キーワードとしてこの間脳裏に浮かぶもの、それは「恩」ということ。恩をわすれない。好き嫌い、善悪、自己の思いに優先して「報恩」。そして感謝。
それらは人としてこそあるべき第一の態度、「人道」というもの。人道かなって初めて「天道」にかなう。天道はすなわちすべてのものの「根源」、始まりをつかさどるもの。すべてはそこからしか派生せず、そこにつつまれ抱かれ認められ愛されなければ、何ものも生かされ存在しえない。

日々「恩」こそ忘れまい。


                                   震災に際して:2016.4.21記  


Posted by 大谷 真洋 at 13:49Comments(0)世間・時事

2019年05月19日

大戦の中に ある真実 「トラトラトラ」




「トラ トラ トラ」。 いわずもがな、あの大戦の火蓋が切って落とされた「真珠湾攻撃」。その総指揮官であった淵田美津雄氏(S51、享年73歳)。厳寒の千島 単冠湾出撃の空母赤城を飛び立った、極限の訓練を経ての360機。作戦完遂。自己機の致命的損傷を顧みず、部下機の帰還をすべて見届け帰還。大和魂「してやったり」。
大艦巨砲主義(大和)から航空機主義への転換を上層部に進言しながらもかなわず、ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦と連戦。自らの命(生死)とともに駆け抜ける。敗戦。原爆投下。軍の命により翌日現場調査に立つ。同僚は被爆死。阿修羅の世界。運命。そこに去来した言い知れぬ思い。ミズリー艦上での降伏調印に立ち会う。憎き敵将マッカサー、ミニッツを眼前に。その後東京裁判の証言に幾度と立たされる。

回心。 戦後アメリカへの伝道。「ノーモア パールハーバー」「憎しみの連鎖を断ち切る」
それは、キリストの救い。

・淵田は占領軍による調査召喚で上京時、元東京空爆撃手(真珠湾の仇)の手記「私は日本の捕虜だった:ディシェイザー」をなにげなく宣教師から受け取る。
ディシェイザーは空爆後不時着。日本軍の捕虜となる。獄中鞭打たれ、同僚を失いながらも彼はある時聖書を手にする。「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」ディシェイザー自身もまたキリストにうたれ回心。 憎しみの自爆から解放されたのであった。

・「勝者の裁判」に屈服するを潔しとせず、米軍に不利な情報集めをしていたところ、アメリカ帰還捕虜兵からの期待どおり残虐な待遇話を聞かされる。が、その中にひとつマーガレット・コヴェル(介護婦)についての話を聞かされる。 収容所での彼女の全くの献身的態度に皆心を打たれたと言う。後に淵田が調べてわかったこと。彼女の両親は日本での宣教師であった。戦況の悪化でフィリピンに避難。そこで日本軍にスパイと間違えられ、処刑される。その間際まで目隠しのまま二人は祈りをささげ続けた。「かくてイエス言い給う、父よ、彼らを許したまえ、その為す所を知らざればなり」ルカ:イエス十字架の際の言 赦されるべきその対象こそ淵田であった! 回心。

・「キャプテン、この子、私の息子ですけれど、この子の頭に手をおいて祈ってやってくれませんか!」アメリカ伝道でのひとコマ。その婦人のご主人は真珠湾の際、沈んだ戦艦アリゾナの砲台長であった。その時お腹に子供がいた。「私は日本を恨んできました。しかし今日、キャプテン淵田のあかしを聞き、神のみわざの奇すしさにふるえがとまりません。この子は父親を知らず、その故にかたくなでイエスを信じようとしません。どうぞこの子をお救いください!」
10年後、ある集会でのこと。20名ばかりの陸軍士官学校生の中に立派な青年が淵田の前に現れる。それはあの時の子供であった。

戦争はお互いに相手への無知から起き、アメリカにも非のあることだ。相手に日本人の何たるかを理解してもらい、自分もアメリカ人を知ろう。集まってくる多くの聴衆に戦争の愚かしさと憎しみの連鎖を断つことを訴え続けた。

後に、淵田はアメリカ伝道の過程でニミッツ、マッカーサーそしてトールマン、アイゼンハワー大統領とも面会。 恩讐を超えた出会いを果たす。 ミニッツはことに彼を温かく迎え入れ、淵田は彼を「神を恐れる者」と評している。

憎むとも憎み返すな憎まれて  憎み憎まれ果てしなければ  :新渡戸稲造

                      真珠湾攻撃総隊長の回想
                      淵田美津雄自伝 中田整一著 参照に

  


Posted by 大谷 真洋 at 07:37Comments(0)歴史と文明・未来

2019年05月18日

真実の歴史

5.15事件で暗殺された犬養首相。孫の犬養道子さん(作家)の著述にもある様に、蒋介石のみならず何人もの大陸の将来を担うであろう若手志士を密かにかくまった。
そしてその影にはまた頭山翁の存在があった。 頭山満と言うのは今ではほとんど知られず、知れるとしてもせいぜい右翼の巨頭くらいに片づけられてしまっている。それは全くの誤解で、この人こそ西郷隆盛の意思を受け継ぐ真の実務家であったいってもよい。
      

  頭山満、犬飼首相と蒋介石     頭山はまたインドの詩人タゴールなどにも慕われた

王仁三郎と頭山翁、 当たり前な歴史観では何のことやらわからない。
  

  王仁三郎、頭山満と内田良平

あの激動期けっして表にはならないが、あの世もこの世も熟知したような数人の大人物が人知れず決死の覚悟で世界と日本の為に動いていた。中村天風(中村に天風の名を授けたのはまたこの頭山であった)、内田良平(黒龍会)、藤井日達(阿蘇の生んだ大聖人)、植芝盛平(のちの合気道創始者)出口王仁三郎(大本教の教祖)などなど。


頭山ファミリーと天風

王仁三郎は軍と一線を画し、植芝盛平などを引き連れ大陸に渡り、本当の意味でのアジア主義に奔走した。馬族と生死を共にし彼らからも頭領として慕われ認めらた。
  

  日本の軍部に捕えられ、足枷された王仁三郎(左から2番目、右横に植芝守平

頭山は孫文:(中国の父)からも信頼され頼られた。その視点は遠くイスラムの地まで行き届いた。
  

  孫文と頭山

そこには無私の精神、真実があった。みんな繋がっていた。
ガンジー翁によっても語られる事実として日達上人の存在も注目される。聖人自身弾丸殺戮の中を裸足と太鼓のみで巡業。多くのお弟子さんは亡くなっている。あの南京入城一番乗りは聖人のお弟子さん達であった。 アジアの為に「武器」によらず大陸に渡る「やまとの魂」は他にも確実に存在した。 そして今でもガンジーのアシュラムでは南無妙法蓮華経がとなえらている。
     

    頭山翁と若き日の日達上人
ブラジル移民をリードしたブラジリアン柔術の祖前田光世(コンデ・コマ:伯爵 と称えられる)もそう、近くはブータンに農業指導者として骨を埋めた西岡京治氏(ダショー:爵位 と呼ばれる)などもそうです。他にも数多くおりますが一般には知られません。戦後の目に見える豊かさはこのような目に見えない部分の「陰徳」あってこそのことです。 決して頭の良さや技術力が先行してのものではありません。
当時の軍部や政財界を「天」の意識でギリギリ最後までかじ取りし続けんとした真の歴史の人脈図。一方、軍部や政財界という「表舞台」にありながらも、「天」を相手に命をかけて働いた人達も少なからずありました。決して侵略的大陸進出とひと括りにできるものではありません。 ただ、こういう人たちの理念と言うのはあまりに遠大で、1+1=2式的な話はしませんから(目に見えない世界までも見ようとしますから)その当時としては(今日までも)理解されないのです。わかりやすい例で言うとキリストもそうですし、西郷が征韓論で片づけられてしまうのもそうでしょう。まったく真逆に受け取られるのです。
  

  スリランカで授かった仏舎利を近衛首相に献上する藤井日達

  


Posted by 大谷 真洋 at 09:42Comments(0)歴史と文明・未来

2012年04月16日

今あらためて道元さんの「五観の偈」に想う

一つには、功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。

二つには、己が徳行(とくぎょう)の全欠を(ぜんけつ)を忖(はか)って供(く)に応ず。

三つには、心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。

四つには、正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。

五つには、成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。



これはあの曹洞宗の開祖道元禅師の「五観の偈」ですね。
今でも福井にある本山永平寺では修行僧が食事の際唱えているという。

私も家族でこれを唱えてから食事をいただくこともしておりました。


我々人間はまずは食してこそ笑ったり、泣いたり、議論も喧嘩さえもできるのです。食べることは生きることの根本です。
ですからこの食する時のその刹那に、人としてあるべき考えるべき事柄が凝縮されスポイルされているとも言えましょう。
人がこの食するということをどう「受け止め、どういう態度で、何を想って」行うかで大方その人の生きること全般への「心構え態度」が窺い知れるものです。
想うに、人の人生は「頭のよし悪し」や「ある種の才能」のあるなしよりも「物事への心構え、受け取り方」によってこそ大きく左右され決定付けられるものだと。
そこに「いただきます」「ありがたし」などの言霊が生まれ出てきたと。

最近では食がいかに大切かは少しは問い直され、「食育」「食養」などということが取り沙汰されるようになりました。
これはとても好ましくもあり喜ばしいことです。
しかし、その様子に私は少し首を傾げたくなることもしばしあります。
食材の質や料理の方法、見せ方、おいしさばかりに焦点が当てられ、ほとんどの場合上記の「五観の偈」にあるような神仏や大いなるモノ、宇宙観に照らし「ひたすらにへりくだった態度、芯からの謙虚さ」というようなものを感じることができないからです。

「五観の偈」の意味合いはこの古語のままがより伝わるものがあるようで、何度も読むとそれなりに分かってくるものです。

どうでしょう 「難しくてちょっと」 で片づけてしまいますか?





  


Posted by 大谷 真洋 at 07:02Comments(0)食と健康

2012年03月27日

たかが味噌されど味噌!

 

先日、私共の光農会味噌を取り扱っていただいておりますある会社経営者の方から大変うれしいと言いましょうかありがたいファックスをいただきました。
昨年末より販売を開始してより、いくつかのうれしい反響をいただいておりますが、これはいつまでも私の心に沁み入りますので、ご本人様の許可を得ましてここにその内容をそのまま掲載、ご紹介させていただきます。

以下
「お客様で、不登校の中学生の女の子がおります。
食欲がなかった子なのですが、おすすめしたらすっかり気に入って(本当においしいものはわかるのですね!)それから毎日お味噌を食べるようになったそうです。
彼女はわざわざ、お味噌を購入する為に、ここに来ます。

大谷さんのお味噌は、心が元気になるようです。ありがとうございます。」


                  先日の味噌仕込みの様子

 

  


Posted by 大谷 真洋 at 08:30Comments(0)

2012年02月24日

農業の再生は? 新しい風に期待!

阿蘇から始めよう!阿蘇万年の大地から全国に、そして世界に新たな方向性を発信しよう。

こう私達はまじめに考えているのです。そしてその上で全国の同じ様な地域の同志と繋がりたいと思っています。

その中で農業がどうしても柱になってくると確信しているわけです。

しかし、現状は当地に限らず農業はもう大げさでなく崩壊寸前の状況です。

その農業再生に先ずもって何が必要か?

それは一つに売り先の確保です。二つ目には在来新規双方農家に対する事業資金の融通の確保です。

この二つは他産業においては色々のバリエーションが準備されているに比して、農業では農協(JA)と言うものがあったがゆえにそのことが阻害され続けてきました。本来戦後すぐの農協設立趣旨は、農家に替わりこの販売と金融をサポートするはずだったものが、逆に組織の硬直化・肥大化のため農家を食い物にしてしまっているのです。農業に関係する一切の事柄は70%、公然と農協独占でやってきたのです。それが政治選挙の利権と密接な関係であり続けました。

 

この構造を断ち切るには内部からではなく外からの風が必要なのです。そうした動きとしてはこの1・2年「農業の6次産業化」などと言うことが言われ始め、異業種の農業への参入が多少見られるようになりました。

農業への金融面からのサポートについては現状、大手金融機関・地銀など声はあげるようでいて、今ひとつ腹の据わった動きが期待できません。これについては全く新しい地方版農業版の金融のしくみが必要だと思います。

ただ一方、販売については阿蘇においても、機動性のある「ネット販売」の登場で既得権益に風穴が開きつつあります。このような経営には若い新種の経営者が多く、非常に期待できるものです。なかでも最近立ちあがったネット会社「阿蘇のなか」http://asononaka.com/の経営は非常に理念が高いもので、30歳そこそこの地元若者達のUターンによるものです。これには地元リーダー・農家からの期待も今までになく大きく、私も元気をもらっておりまして精一杯応援しております。

変化に加速度をつけたいですね!

                                                                                        阿蘇のなか



  



Posted by 大谷 真洋 at 23:18Comments(0)農と自然

2012年02月03日

なつかしい景色










あそんじもとんもん(阿蘇の地元の者)ですらここが一番と言う当村内のスポット。
前方に久住連山、背後には阿蘇連山。
古代の息吹を感ぜずにはおれない。

「清らかな水があり、愛する家族があり、生かされている」
我々はこれ以上何を求めようとするのか!!!

  


Posted by 大谷 真洋 at 08:40Comments(0)農と自然

2012年01月20日

「腸」の未知力

皆さんは千島学説をご存知でしょうか。
千島喜久男博士(1978年没)「血液は実は骨髄ではなく、腸で形成される」というこれまでの医学では到底受け入れられない発見をされました。今でもこの説は一般には認められませんが。
千島説の根本理論は簡単に言ってしまうと「生命はある一定の条件が整うと、無の状態から生まれ出る」というところにあります。
肉体を形成する細胞なども単にその細胞が次から次へと、いわゆる細胞分裂を繰り返すことのみで増殖するのではなく、ゼロのところから新たに発生しているというわけです。
また、この説の中では「断食などして栄養を絶たれた細胞は逆に赤血球(血液)に戻る」とされています。それも例えばイボになっている皮膚部、あるいは癌化した細胞など本来(健康)でない部分からその現象は始まると。

私は科学者でもなく医学者でもないのですが、この千島博士の言われたことは、直感的に正しいと考えています。
要するに生命と言うものですね。これをどうとらえるか。生命は常に新たに新たに次々と絶えず生まれ出ているということですね。

しかも人間においては「腸」という臓器が非常に大切な役割を果たしているということです。

今年に入りやはり放射能汚染の実態が少しずつあらわになってきています。これからこの現実を我々は益々知らされてくるでしょう。
こうした中でこの「真の生命観」に根ざした働きと生活こそが私達の「命綱」となりえましょう。

皆さん、ですから「食」が大切ですよ!何を選んで食するか。そしてバクバクバクバク食べすぎはいけませんよ!
このような行為は一番「腸」を痛めつけますから。  


Posted by 大谷 真洋 at 07:46Comments(0)

2012年01月05日

年初にふと思索したこと

皆さんは戦前まで各地にサンカと言われる人々・生活集団がいたことを知っていますか。
この人達は住所不定で一般世間とは一線を画し、基本的に家族単位で生活をなし、手さきが大変に器用で竹細工などで生計をたてていました。
サンカの三種の神器と言われるものが天幕(テント)、自在鈎(ジザイカギ)それにウメガイと呼ばれる両刃の山刀です。彼らにはその他ほとんど所持するものがなく非常にシンプルで身軽な生活をしていました。
彼らの話し言葉は一般人とさほど変わらないのですが、我々とはまったく違う文字をもっていました。
彼らの口承によるとその歴史ルーツは神武天皇、スサノオさらにはニニギノミコトあたりまでさかのぼるようです。
しかし長い歴史の中で彼らは差別・侮蔑・迫害され次第に姿を消していきます。
サンカとはいったい何者なのか?いつごろどこから来たのか?
これまで私達の認識する日本人というのは単一民族的なものではありますが、アイヌや隼人や熊襲の存在は誰しもが多少なりとも知るところです。
作家で日本文化全般に詳しい呉善花(オ ソンファ)さんはアイヌの人達との遭遇から、その精神性・風俗性・宗教性は明らかに日本の文化と深くかかわる同系のものだとしています

私はこのサンカにこそそれと同様かそれ以上に日本の古層を感じるのです。その古層がいかなるものかについては私なりの答えはありますがここでは触れません。

岐阜県の教育家三宅武夫さんがその幼児期(明治40年頃)、あるサンカの家族との出会いを綴った大変貴重な記録があります。
三宅さんはこの時、世間が言うようなサンカへのマイナスイメージとは真反対に、このサンカの家族の生活と仕事そして遊びと教育が自然に一体となった様子に深く憧憬の念を覚えたのです。
そしてその経験から三宅さんは教育者となられました。

この「ぶらんこ」を活字化し掲載したページがありますのでここに紹介させていただきます。
                     http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/004015 ここをクリック!


    


Posted by 大谷 真洋 at 09:07Comments(0)

2011年12月23日

第二期味噌仕込み開始

 

光農会の味噌仕込みがまた始まりました。一年前に仕込んだ味噌は既に販売が始まっています。

今度は二期目で、生産・加工・販売まですべての工程は経験済みですから、さらにさらに気分が高まります。


事業とは「無から有を生み出すこと」。これもその事業であるからには、大きい小さいの問題でなく、こつこつ積み上げる態度が大事です。それが大きな力につながる。二宮尊徳の「小を積んで大を為す」です。


「私達は大地に立ち、自ら能動的に、自らの責任において、他のせいにせず、未来のためにはたらきます」







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Posted by 大谷 真洋 at 08:24Comments(0)