2012年01月20日
「腸」の未知力
皆さんは千島学説をご存知でしょうか。
千島喜久男博士(1978年没)「血液は実は骨髄ではなく、腸で形成される」というこれまでの医学では到底受け入れられない発見をされました。今でもこの説は一般には認められませんが。
千島説の根本理論は簡単に言ってしまうと「生命はある一定の条件が整うと、無の状態から生まれ出る」というところにあります。
肉体を形成する細胞なども単にその細胞が次から次へと、いわゆる細胞分裂を繰り返すことのみで増殖するのではなく、ゼロのところから新たに発生しているというわけです。
また、この説の中では「断食などして栄養を絶たれた細胞は逆に赤血球(血液)に戻る」とされています。それも例えばイボになっている皮膚部、あるいは癌化した細胞など本来(健康)でない部分からその現象は始まると。
私は科学者でもなく医学者でもないのですが、この千島博士の言われたことは、直感的に正しいと考えています。
要するに生命と言うものですね。これをどうとらえるか。生命は常に新たに新たに次々と絶えず生まれ出ているということですね。
しかも人間においては「腸」という臓器が非常に大切な役割を果たしているということです。
今年に入りやはり放射能汚染の実態が少しずつあらわになってきています。これからこの現実を我々は益々知らされてくるでしょう。
こうした中でこの「真の生命観」に根ざした働きと生活こそが私達の「命綱」となりえましょう。
皆さん、ですから「食」が大切ですよ!何を選んで食するか。そしてバクバクバクバク食べすぎはいけませんよ!
このような行為は一番「腸」を痛めつけますから。
千島喜久男博士(1978年没)「血液は実は骨髄ではなく、腸で形成される」というこれまでの医学では到底受け入れられない発見をされました。今でもこの説は一般には認められませんが。
千島説の根本理論は簡単に言ってしまうと「生命はある一定の条件が整うと、無の状態から生まれ出る」というところにあります。
肉体を形成する細胞なども単にその細胞が次から次へと、いわゆる細胞分裂を繰り返すことのみで増殖するのではなく、ゼロのところから新たに発生しているというわけです。
また、この説の中では「断食などして栄養を絶たれた細胞は逆に赤血球(血液)に戻る」とされています。それも例えばイボになっている皮膚部、あるいは癌化した細胞など本来(健康)でない部分からその現象は始まると。
私は科学者でもなく医学者でもないのですが、この千島博士の言われたことは、直感的に正しいと考えています。
要するに生命と言うものですね。これをどうとらえるか。生命は常に新たに新たに次々と絶えず生まれ出ているということですね。
しかも人間においては「腸」という臓器が非常に大切な役割を果たしているということです。
今年に入りやはり放射能汚染の実態が少しずつあらわになってきています。これからこの現実を我々は益々知らされてくるでしょう。
こうした中でこの「真の生命観」に根ざした働きと生活こそが私達の「命綱」となりえましょう。
皆さん、ですから「食」が大切ですよ!何を選んで食するか。そしてバクバクバクバク食べすぎはいけませんよ!
このような行為は一番「腸」を痛めつけますから。
Posted by 大谷 真洋 at
07:46
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2012年01月05日
年初にふと思索したこと
皆さんは戦前まで各地にサンカと言われる人々・生活集団がいたことを知っていますか。
この人達は住所不定で一般世間とは一線を画し、基本的に家族単位で生活をなし、手さきが大変に器用で竹細工などで生計をたてていました。
サンカの三種の神器と言われるものが天幕(テント)、自在鈎(ジザイカギ)それにウメガイと呼ばれる両刃の山刀です。彼らにはその他ほとんど所持するものがなく非常にシンプルで身軽な生活をしていました。
彼らの話し言葉は一般人とさほど変わらないのですが、我々とはまったく違う文字をもっていました。
彼らの口承によるとその歴史ルーツは神武天皇、スサノオさらにはニニギノミコトあたりまでさかのぼるようです。
しかし長い歴史の中で彼らは差別・侮蔑・迫害され次第に姿を消していきます。
サンカとはいったい何者なのか?いつごろどこから来たのか?
これまで私達の認識する日本人というのは単一民族的なものではありますが、アイヌや隼人や熊襲の存在は誰しもが多少なりとも知るところです。
作家で日本文化全般に詳しい呉善花(オ ソンファ)さんはアイヌの人達との遭遇から、その精神性・風俗性・宗教性は明らかに日本の文化と深くかかわる同系のものだとしています。
私はこのサンカにこそそれと同様かそれ以上に日本の古層を感じるのです。その古層がいかなるものかについては私なりの答えはありますがここでは触れません。
岐阜県の教育家三宅武夫さんがその幼児期(明治40年頃)、あるサンカの家族との出会いを綴った大変貴重な記録があります。
三宅さんはこの時、世間が言うようなサンカへのマイナスイメージとは真反対に、このサンカの家族の生活と仕事そして遊びと教育が自然に一体となった様子に深く憧憬の念を覚えたのです。
そしてその経験から三宅さんは教育者となられました。
この「ぶらんこ」を活字化し掲載したページがありますのでここに紹介させていただきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/004015 ここをクリック!
この人達は住所不定で一般世間とは一線を画し、基本的に家族単位で生活をなし、手さきが大変に器用で竹細工などで生計をたてていました。
サンカの三種の神器と言われるものが天幕(テント)、自在鈎(ジザイカギ)それにウメガイと呼ばれる両刃の山刀です。彼らにはその他ほとんど所持するものがなく非常にシンプルで身軽な生活をしていました。
彼らの話し言葉は一般人とさほど変わらないのですが、我々とはまったく違う文字をもっていました。
彼らの口承によるとその歴史ルーツは神武天皇、スサノオさらにはニニギノミコトあたりまでさかのぼるようです。
しかし長い歴史の中で彼らは差別・侮蔑・迫害され次第に姿を消していきます。
サンカとはいったい何者なのか?いつごろどこから来たのか?
これまで私達の認識する日本人というのは単一民族的なものではありますが、アイヌや隼人や熊襲の存在は誰しもが多少なりとも知るところです。
作家で日本文化全般に詳しい呉善花(オ ソンファ)さんはアイヌの人達との遭遇から、その精神性・風俗性・宗教性は明らかに日本の文化と深くかかわる同系のものだとしています。
私はこのサンカにこそそれと同様かそれ以上に日本の古層を感じるのです。その古層がいかなるものかについては私なりの答えはありますがここでは触れません。
岐阜県の教育家三宅武夫さんがその幼児期(明治40年頃)、あるサンカの家族との出会いを綴った大変貴重な記録があります。
三宅さんはこの時、世間が言うようなサンカへのマイナスイメージとは真反対に、このサンカの家族の生活と仕事そして遊びと教育が自然に一体となった様子に深く憧憬の念を覚えたのです。
そしてその経験から三宅さんは教育者となられました。
この「ぶらんこ」を活字化し掲載したページがありますのでここに紹介させていただきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/004015 ここをクリック!
Posted by 大谷 真洋 at
09:07
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