2023年09月20日

日本人とキリスト

勝海舟も西郷隆盛も、祖先が物部(忍者)であったとするのもわからぬでない。忍者は自己の功績は決して語らず残さぬものらしい。
それにしても、勝や西郷が中国の古典や禅に学んだことは知らされていても、キリストにうたれ洗礼まで受けていたとはー

確かに、勝の「負けるが勝ちよ」(彼はただ一人日清戦争に反対であった) 、あるいは西郷の「敬天愛人」(西郷が征韓論者であったとする現代の歴史観は誤った認識)などいい残した言からして、キリストの説く「赦し・愛」に通ずるものは感じられる。
一方でそれでもなほ、維新の根底にあったものは日本人のDNAに刻まれた縄文以来の「カンナガラ」の道(古神道)であったなればこそ、元はひとつである「真理の教え」が何層にも重なり腑に落ちたのだとも理解できる。少なくとも江戸血開城まではその「見えざる大きな力」により日本が導かれたものと思われる。

歴史は、表層に伝えられるそれと(教科書的な),裏の世界(陰謀論的なものも含む),さらに加えて宗教的それ(正しくは信仰的)の三段構えで捉えなければなかなか真相は見えてはこない。
ことに、最後の項目は歴史上ほんの一握りない場面と人の織り成すドラマで、決して知識や頭で理解できるものではなく、パッと「感じられるもの」でしかなく、ここが現代人には大きな壁となりがちだと思える。

私の言う信仰とは、今流行りのスピリチュアル的なものとは少し違っているかも知れぬ。 それこそ言葉ではなかなか説明できない。もっと地道な自己内省的なものと言えばいいのだろうか。キリストに言う「右手に行なった善行は、左手には忘れさせる」あるいは、菅原道真の「心だに 真の道に叶いなば 祈らずととても 神や守らん」こんな感じのものであろう。
そこにはたった一人と成り果ててでも、天 なるもの神なるも 大いなるもの something great のみを見つめ、求めてやまぬ ひたすらなる誠実な姿が思い浮かばれる。
今こそ私たち一人一人にまったくのその「主体者」としての態度が求められているに違いない。





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Posted by 大谷 真洋 at 10:42│Comments(0)歴史と文明・未来
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