2010年09月30日
山の中は (2)
列車や車の車窓から見える山並み、これはどんな地域にでも見られます。自然物としての山があちらこちらにあるのですが、しかしこれらはすべてだれかに管理されているものです。言い換えますと、すべてだれかの所有物となっているわけです。ほとんどが個人の所有、一部は国や県町村のものです。ですから都会の人の感覚から言うとちょっと違和感があると思いますが、ほんとうはどんな山にも所有者の許可を得なければ勝手にはいることは出来ません。叱られてもしょうがないんです。三十年位前までならみな所有者によって整然と手入れされていたのですが、以後外国の安い木材に押されて国内材は売れなくなり、山主は木を出したとしても赤字のありさまで、お金にならない日本の山や山仕事は敬遠され続けました。戦後、高度成長期の国の政策もありどんどん杉・ヒノキだけを植えました。で植えるには植えたのですが、時代の変化?期待に反し山はお金にならずほとんど間伐など手入れされずにいるわけです。これらが今私達の目にかかる山なんです。
2010年09月28日
山の中は
パッと見るとなんということもないただの山ですが、この中に分け入って行くと外から見るのではわからない世界があります。今私が言いますのは水路のことです。実はこの山の中には上流の水源から何キロにもおよぶ水路があり、おそらく江戸時代の後期には既にほとんど作られていたのでしょう。当然すべて手で掘ったでしょうし、水を流すには高低差を見なければならないですから、この長い距離でどうやって計ったか?しかも、ところどころヌキと言って小山にはトンネルが掘ってあります。現代人には体力的にも技術的にも信じられない話です。一部はコンクリート化されてもいますがほとんどは昔のまま使われています。ただ悲しいことに米余り・減反政策・の中で耕作放棄された田んぼがどんどん増え、使われなくなった水路は哀れ風化し無残にも消えていってます。

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17:40
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2010年09月27日
草上げ (2)
一度人が手を加えた山や草原は放置されるとジャングル化して手がつけられない状態になります。そうなると人や動物すら寄り付けません。もはや国内には人の手に寄らない山野(原生林)はないに等しいですから、今残された山野は定期的に人の手により否が応でも手入れされなければならないのです。そうでないなら何百年もかけ荒れ山が自然林に戻るのを待つしかないのです。日本では30年くらい前までは長い年月をかけ鎮守の森・里山・野焼き・刈りぼし切りなどの風習が残されてきました。こうした生活のあり方は人と自然が永久に調和発展できるシステムでありました。

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13:43
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2010年09月26日
草上げ (1)

阿蘇地方では今、牛の冬場の飼料確保のための「刈りぼし切り」真っ最中です。毎年私もお手伝いに行きますがとにかくこれはとてもきつい仕事です。写真の様な急斜面の草を刈払い機で切り、フォークで草を集める、そして機械でこれを梱包する。こういう場の悪い効率の悪い所は農家から放置され今では草原の維持ができなくなってます。外国の飼料に頼り生産効率一辺倒で、前に言いましたように草を生かせなくなった農業の結果です。
2010年09月25日
実り

産山の 井 信行さんの無農薬田んぼ。
春から障害者のみなさんと草取り作業をしてきましたがもうすぐ収穫です。全部で6反。もち米は玄米もちを搗いて加工・販売までする予定です。このチームで。
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07:52
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2010年09月23日
大麦若葉の草取り

前にも紹介しました、身障者の人達と今、大麦若葉の草取りをしています。このチームでは無農薬田んぼでの除草はしてきたのですが、今度は広大な畑作地での挑戦です。大麦若葉というのは今流行りの青汁の原料となるものです。光農会会長の岩下さんが安定的収益源として波野村に導入したもので、製薬会社との契約栽培で今では波野全体で70ヘクタールもの作付けになっています。これはJAS認定を受けた無農薬栽培です。実に波野村全体の畑の10%に及びます。岩下さんの畑はこの内の3ヘクタールほど、これを障害者農業班で手作業で行ってます。なかなか根気のいる作業です。なにしろもう秋だというのに日が射すととても暑い、ずーと立ちっぱなしで長い柄の草取り釜で下を向きっぱなしの状態ですから。それでも彼らは楽しく仕事をしてくれます。いつもお昼は岩下さんの奥さんの手弁当、これを皆楽しみにしているのですがこの間などは昼間から元村長の岩下さん自身の腕を振るったモツ煮が出されまして皆で大喜びでした。
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11:44
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2010年09月19日
有機JAS (3)
有機野菜・有機農法と言いましてもいろいろのレベル・考え方・方法がありますから、ひとくくりにはできませんね。また、自然農法というようなくくりで表せられるジャンルなど有機のくくりで表記されるものだけが安心安全ではありません。現場にいますとわかりますが本当に本当に安心といえる農産物を世の中に提供する農家は前にも説明したようにあえてJASなど取得していないケースが多いです。これだけ環境汚染の進んでしまった状況で真に人間の生命に責任をもって提供できる農産物は心ある生産者がどこまでもどこまでも研究・求め続ける・続けている、これがほんとうのところでないでしょうか。いずれにしましてもどんな農法であるいはJASの取得あるなしなどで「どちらがよりほんものか?」などということでお互い言い争うようなことはしたくありません。なにしろ皆あわせて1%に満たない少数派なのですから。
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18:06
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2010年09月18日
有機JAS (2)
一方、消費者の立場から見た場合どうか。この制度について一般的に知っていて買い物されるというケースは少ないと思います。むしろこれを意識するのは消費者と生産者の間にたつ中間業者的な人達です。そもそも、国内において有機農家自体の数がまだまだ1%にも及ばない状況で安心安全が言われるほどに有機農産物は流通していません。有機JASは消費者保護のための制度として出来たのでしょうが、実際には圧倒的大多数の国民は認証を受けていない農産物しか食べていない・食べられない状況ですから、消費者としてはむしろ認証されていない一般に流通する農産物(99%以上)の安心・安全度の方が知りたいはずです。こう考えますと生産者・消費者どちらの立場から見てもおかしなことになっていると言えます。
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09:15
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2010年09月15日
有機JAS (1)
近年食の安心安全が叫ばれる中、消費者を守るためにできた国の有機農産物に対する認定制度。有機JAS。農薬・化学肥料を使わない安心安全の農産物にはJASマークの表示を基本的に義務づけるもの。一口に有機農産物といっても、その定義は様々ですし、また故意に解釈をゆがめるようなこともありますからこのような制度が設けられたわけですね。しかし施行後多くの有機農業者からの制度への評判はよくありません。なぜ?まず認証を得るには農家からして認証取得費用がかかりすぎる事。審査基準が項目があまりに煩雑・多量におよび、負担が大きいすぎる事。「有機」が日本で言われる20年・30年前からまじめに有機農業に取り組んできた人達では既に農産物購入者との間で十分な信頼関係ができており、高いコストを払ってまで認証を受ける必要がないこと。などが理由です。 つづく
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19:09
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2010年09月14日
あそびをせんとや うまれけむ
万葉集に象徴される日本人の歌心。なんかいいと思います。中世、一般庶民の中からうまれ大流行、時の天皇までが夢中になったという流行歌「今様」中でも一番人気の女芸人 乙前(おとまえ)の作とされる「あそびをせんとや うまれけむ・・・・」なんだかとってもなつかしいような心うばわれる不思議な魅力の歌だと思いませんか。あと 幕末の志士 高杉晋作の残した歌「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」これもなんとも染み入ります。
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20:34
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2010年09月12日
サイロ

この間、七十代ご夫婦の農家で牛買いをされているところにお手伝いに行きました。サイロ作りでした。いろいろな農家の仕事を手伝ってきましたがこれは初めてです。サイロというのは家畜の冬越し用のエサのことで、この場合自家トウモロコシの茎・葉・実までまるごと機械で粉砕しこれをブロック塀などで出来た貯蔵庫にどんどん積み込み、踏み固め発酵させたものです。そうですね~軽トラにてんこ盛り一杯500キロ、これを7杯でした。手作業の重労働、今ではこんなことをする人はめったにいません。「骨折ってせんでも飼料(輸入)を買った方がはやい」ということです。この75歳くらいのおじさんがフォークで懸命に粉砕されたトウモロコシをかき出します。まったく時の流れに反する行為です。ただ、購入飼料で育てた牛より良い牛ができると言われてましたが、この重労働・労働コストに耐えかねて日本の畜産は戦後100%近く輸入飼料に頼るものとなりました。しかし、経済効率重視農業はもういたるところに重大な問題が露呈し行き詰まりをみせています。今度の宮崎でのことも「のど元過ぎれば」じゃいけません。
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19:55
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2010年09月11日
道
日本には、剣道・柔道・茶道・書道・華道などさまざまな~道があります。何でも道にしてしまうのですね。この道というのはなんなのでしょう。書道というと中国にも書をたしなむ文化はあります。ただ、日本のものは半紙の上にサッと一文字書いて余白も含めて、むしろ余白を楽しむという感じです。華道なども竹筒に一本の花だけの「一輪挿し」もきわめて日本的といえます。シンプルな中に美を見る、見えてないところに何かを感じ見ていこうとする。これが日本人の独特の感性でないでしょうか。見えないが確かにあるもの、法則そんなものを求め追求していく。宮本武蔵の「五輪の書」など読んでますと本当にそうです。それでいてそれは単に空想的で現実的ではないかというとそうではなく、少々遠回りで無駄講釈のようでいて実は現実の遠い将来を見とおし、実現化するすごい力を持ってます。明治維新や戦後の復興も外国からも奇跡的出来事として認められますが、これには「道」というものが深く関係していると思うのです。
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13:36
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2010年09月08日
治山治水 (2)
作物つくるには一年かかり、木を育てるには五十年かかる、いわんや人を育てるには100年かかる。つまりこれはたいせつなことには時間がかかるということです。しかも目先お金にならない。だから、経済最優先の社会では人づくり・山づくり・作物づくりと逆の順におろそかにされてきたといえます。「そうは言っても先立つものが・・・」「現実はこうだから」こういうふうでは同じところで、真実の周辺をいつまでもぐるぐる回り続けるだけでないでしょうか。
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08:30
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2010年09月06日
治山治水
高速道路を使わずに一般道を旅しますと日本は山また山の国であることがよくわかります。一人で真夜中など走りますとどこまでもどこまでも真っ暗な山道を走りぬけようやく町明かりが見えホットする、ほとんどこんな場面が多いです。国土の六割~七割が山なわけです。ですから大半の地域は便が悪い。生産性が低いということになる。しかしこの山が多いことが日本を瑞穂の国たらしめ世界有数の水に恵まれた風土を生みだしている。今世紀は水の世紀とされます。一方で中国・ロシアなど不可解で得体の知れぬ資本が日本の恵まれた水・山資源をじわじわと買収していることが知られています。山があっての農業ですからうかうかしておれません。
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20:03
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2010年09月03日
身土不二 (しんどふじ)
昨日、地トウキビの話をしましたが阿蘇には他にも地モノがいくつかあります。例えば地ギュウリ。これは八百屋さんで売っているものと違ってずんぐり型で大きいです。味に関しては、まあー人によりますが私も含め一般に都会人には好評です。うまいです。だだ数が取れないのと、形がごつごつしてますから流通に乗りにくい、したがってお店にでない、農家はつくらないとなるわけです。こうした農家だけが知ってて、わずかにまだ自家用に作って食べてる地モノは阿蘇だけでなく日本中の各地にいっぱいあります。こうしたものは長い年月をかけて先祖代々受け継がれたものですからその土地ごとの気象・風土にあってますから作物が病気や害虫にあまりやられません。そしてそんなものを食べてる人もまたとてもとても健康です。しかし現代人は度を越えてめずらしいものを求めましたから、農家は土地に合わないめずらしものを作ってきました。ところが最近ではそんな地モノの方がめずらしくなってきました。なんでも偏り・行き過ぎには自然のゆり戻しがありますね。
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14:32
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2010年09月02日
地とうきび
前に紹介しました障害者施設インターワークでこの春一つの試みとして植えつけたトウキビが、いよいよ収穫となりました。このトウキビはいわゆる皆さんよく知るスイートコーンではなく、むか~しから阿蘇で作られてきたもので今ではほとんど栽培されなくなりました。種もなかなか手に入りません。人工的に品種改良され続けあっま~い外来種と違い、ほんのり自然の甘さでねっちりとして一本でも食べると腹にずっしり。水に恵まれない波野村ではむかしは米のかわりに食べていました。「トウキビが取れだすと波野の者には綱引きゃ勝たん」と阿蘇では言われたそうです。半分は米どころから見たそうでないところへの優越感が見え隠れしますが、ヒエの栽培でも言いましたように、何もかも満たされた現代では多くの価値感は昔と逆さまになつてきてます。つまりニューヨークや東京ではこんなモノがもてはやされます。なぜ?だって土地に合ってて、作りやすく環境にやさしく、おいしくて、体にいいんですから。
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07:49
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2010年09月01日
敬天愛人
毎日毎日がいろいろな人・考え方との出会いその連続、これが人生ですね。しかし自戒の念も含めて場面場面よく観察しますと人はただその好き嫌いでそれぞれがそれぞれの立場でものを言っているに過ぎぬことが多いことに気づきます。新渡戸稲造があの(武士道)のなかで代表的日本人として西郷隆盛をあげています。その西郷さんの言葉に「金も名誉もあげくに命までいらぬ、こんな人間ほど扱いにくいものはいない、しかしそのようなものでなければ大事を成すことはできぬ」というようなものがあったかと思います。好き嫌いということはつまるところ自分を中心にしての発想であって「大事」からはかけ離れた状況といえるでしょう。今でも敵方の会津の人たちからも慕われる西郷さん、今この時代にあって「大事」とは?
Posted by 大谷 真洋 at
09:05
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