2019年05月21日
熊本震災の日
14日(木)21時30分頃、私は家にいた。「ズドーン」と縦揺れがきた。この産山村が震源地であるとニュースで度々伝えられるのであるが、それは確かな実感でもある。とにかくこの地震は「ちょっと違う!!」ととっさに思った。
私は16日(土)に県内外から40人ほどが集まっての「あその風」総会を予定していた。その準備や昨年来からの諸々の「地域活動」でとても忙しくしていた。
ところが、14日の夜この地震があり、私は明けて翌朝15日(金)6:00前にその会合の中止を決めた。それで急に時間にゆとりが出来たため、気にかけていた用事をいくつか済まそうと村を下ることにした。
8:00頃に家を出て先ず「阿蘇市」で用事を済まし(のちに阿蘇神社倒壊)、さらに「南阿蘇村」の立野地区に向かった。そして目的の知人経営者の事務所までの道順に迷い、12時間後に崩落することとなる「阿蘇大橋」の前を何度も行き来し、ようやく昼頃に到着した。久しぶりに会う社長としばしお話し、その間もドーンドーンと地響きが時々あった。注文していたバイオ肥料を軽トラに積み込み、そこを後にする。途中15:00頃、頼まれていた肥料の半分を高森町の知人農家で降ろし間もなく、もう一軒別の用事で知人農家にも寄った。慌ただしく、さらに波野の農家を最後に訪ねた時には17:00となっていた。ちょうどよいところに来てくれたと歓迎され、思わぬ夕食を頂くことになり、夜遅く22:00まで話し込むこととなった。
そして家に戻り、SNSなどで連絡やり取りの間も地震が頻繁になり始めた。疲れもあり布団にも入らず、うとうととしていたところ、明けて16日1:30頃「ドカーン」ときた。震度7クラス。14日のそれよりも明らかに大きいものであった。
今になり少しずつその被害が実に甚大であったことが認識されてきているように思うのだけれど、その割には死傷者数がさほどでもなかったかに思えるのは、二回目の地震が深夜であったこと、さらに先の14日の地震も大きいものではあったため既に避難体制であったであろうことも言わば幸いしたことと思う。
この自らが「当事者」としての震災の顛末を見たとき、人の「未来:運命」は自分の意思・思い願いからかけ離れたところの、もっともっと大きい「流れ」のようなものに支配れているという感慨をジわーと今さらながら味わっている。
その「流れ」、運命といってもよいが、「流れ」であるならの乗り様(BiG WAVE:サーファーのように)、「運命」というならよりよいものに恵まれる、その「コツ」があるものと想う。
その、キーワードとしてこの間脳裏に浮かぶもの、それは「恩」ということ。恩をわすれない。好き嫌い、善悪、自己の思いに優先して「報恩」。そして感謝。
それらは人としてこそあるべき第一の態度、「人道」というもの。人道かなって初めて「天道」にかなう。天道はすなわちすべてのものの「根源」、始まりをつかさどるもの。すべてはそこからしか派生せず、そこにつつまれ抱かれ認められ愛されなければ、何ものも生かされ存在しえない。
日々「恩」こそ忘れまい。
震災に際して:2016.4.21記
私は16日(土)に県内外から40人ほどが集まっての「あその風」総会を予定していた。その準備や昨年来からの諸々の「地域活動」でとても忙しくしていた。
ところが、14日の夜この地震があり、私は明けて翌朝15日(金)6:00前にその会合の中止を決めた。それで急に時間にゆとりが出来たため、気にかけていた用事をいくつか済まそうと村を下ることにした。
8:00頃に家を出て先ず「阿蘇市」で用事を済まし(のちに阿蘇神社倒壊)、さらに「南阿蘇村」の立野地区に向かった。そして目的の知人経営者の事務所までの道順に迷い、12時間後に崩落することとなる「阿蘇大橋」の前を何度も行き来し、ようやく昼頃に到着した。久しぶりに会う社長としばしお話し、その間もドーンドーンと地響きが時々あった。注文していたバイオ肥料を軽トラに積み込み、そこを後にする。途中15:00頃、頼まれていた肥料の半分を高森町の知人農家で降ろし間もなく、もう一軒別の用事で知人農家にも寄った。慌ただしく、さらに波野の農家を最後に訪ねた時には17:00となっていた。ちょうどよいところに来てくれたと歓迎され、思わぬ夕食を頂くことになり、夜遅く22:00まで話し込むこととなった。
そして家に戻り、SNSなどで連絡やり取りの間も地震が頻繁になり始めた。疲れもあり布団にも入らず、うとうととしていたところ、明けて16日1:30頃「ドカーン」ときた。震度7クラス。14日のそれよりも明らかに大きいものであった。
今になり少しずつその被害が実に甚大であったことが認識されてきているように思うのだけれど、その割には死傷者数がさほどでもなかったかに思えるのは、二回目の地震が深夜であったこと、さらに先の14日の地震も大きいものではあったため既に避難体制であったであろうことも言わば幸いしたことと思う。
この自らが「当事者」としての震災の顛末を見たとき、人の「未来:運命」は自分の意思・思い願いからかけ離れたところの、もっともっと大きい「流れ」のようなものに支配れているという感慨をジわーと今さらながら味わっている。
その「流れ」、運命といってもよいが、「流れ」であるならの乗り様(BiG WAVE:サーファーのように)、「運命」というならよりよいものに恵まれる、その「コツ」があるものと想う。
その、キーワードとしてこの間脳裏に浮かぶもの、それは「恩」ということ。恩をわすれない。好き嫌い、善悪、自己の思いに優先して「報恩」。そして感謝。
それらは人としてこそあるべき第一の態度、「人道」というもの。人道かなって初めて「天道」にかなう。天道はすなわちすべてのものの「根源」、始まりをつかさどるもの。すべてはそこからしか派生せず、そこにつつまれ抱かれ認められ愛されなければ、何ものも生かされ存在しえない。
日々「恩」こそ忘れまい。
震災に際して:2016.4.21記
Posted by 大谷 真洋 at 13:49│Comments(0)
│世間・時事