2011年03月18日

覚悟

90年代中頃のことです。私の記憶に強く残る三つの事件がありました。発生順序は定かではありませんが、一つに「地下鉄サリン事件」。私はその頃、証券会社を依願退職し、池袋でコンビニ経営を始めたばかり、毎月毎月の赤字、家族総出で働きずくめの悪戦苦闘のさ中でありました。確か店にいてラジオで事件を知りました。それは朝の通勤ラッシュ時での出来事。私も会社勤めの際いつも使っていたその地下鉄での出来事でした。サリンという得体の知れない毒ガスによる大量無差別殺人。第二に神戸での「サカキバラセイト事件」。少年がまた同じく少年の生首を学校の正門に・・・というあの事件。そして三つ目に同じく神戸での「大震災」です。コンビニで夜勤明けで疲れた体でテレビをつけると神戸の町が映画で見るかの映像のごとく赤々と燃えていました。神戸は私が小学一年まで過ごしたところです。また祖母と母が震災直前まで住んでいました。(コンビニを始めるに際し私が呼び寄せていました。)
この頃から私は「このままではいけない」「変わらなければ」「変えなければ」という気持ち危機感にも似た心境を強く抱くようになりました。
またそのころ自由な時間など全くとれませんでしたので「読み物」だけが唯一の楽しみでした。様々なものをそうとう読んだ記憶がありますが、当時 司馬遼太郎さんがご健在で小説もさることながら、新聞でその論説をよく見かけました。その中で、私の心に響いたのは、嘗て人々は自然に対してへりくだって受けとめ物事を考えた。また鎌倉武士の大切にした精神は「潔さ:いさぎよさ」であったという一文です。(21世紀に生きる君たちへ:司馬遼太郎)また今我々に必要なことは、一度立ち止まる勇気をもつこと「美しき停滞」であるともありました。
今日、私が阿蘇におりますのも、あの時期の出来事が深く私の思考に影響を与えたことによることは間違いありません。
このブログの中でも一度お話しましたが、昨年から私は「備えよ」ということを強く意識しておりました。そんな中「光農會」というものが立ち上がりました。ブログには書かなかったのですが「覚悟せよ」という気持ちもまた強くあり、この一二カ月自分自身にも問いかけていました。
「東北・関東大震災」
私はこの数日間「覚悟」ということをず~と自身に問いかけています。
少なくともこの近代日本・現代の繁栄までの間、その時代背景・立場の違いはともかく、私達子孫・祖国のために命を捧げまた犠牲になられたその魂、明治維新から第二次大戦といかほどの想い(重い)の上に私達は生かされてきたか。翻って以後の私達のこの生活のありかた・生き様はこのおもいを受け止め得るのか、生かされるに値するのか。
「覚悟を決めよ」私は自己に問いかけるのです。
「私達は大地に立って、自ら能動的に、自らの責任において、他のせいにせず、未来のためにはたらきます」


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Posted by 大谷 真洋 at 20:05│Comments(1)世間・時事
この記事へのコメント
どうもはじめまして。

文章、共感しました。
覚悟。。まだできていないのですが、
しないといけない時期なんだよな。。
と感じています。
神奈川県に住んでいますが、今月いっぱいで、阿蘇に引っ越します。
仕事を、何をするのか未定なのですが、
とりあえず前向きな気持ちで頑張ろうと思います。
近い将来、お会いできたら嬉しいです!
Posted by sugi-hayama at 2011年05月18日 21:31
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