2011年11月10日

食糧一番

食糧一番



このところの世相,殊に3・11以降普通に多くの人々が、さすがにただごとではない何か大きな変化・変革を我々は迎えつつあるのではないかと感じてきていることと思います。
世界各地で起こる地震や水害はどれもかってないスケールのものであるし、アラブ中東諸国でのクーデタ・反政府運動、さらにギリシャをはじめとするヨーロッパ諸国での経済破綻そして政治危機。
ニューヨーク・ウォール街に端を発する地球市民レベルでの格差社会への怒りの爆発もとどまるこを知りません。
こういった状況は年末から来年にかけて、益々緊迫感を増し、国家とそして個人生活の上にもいよいよ本当の危機感を抱かざるを得ないところまで来るといわざるを得ません。
これまでにもこのブログのなかで何度もお話してきたことですが、当たり前の人間が本当に本当にこの世において地獄を見るとするならば、それは食糧がないこと、つまり飢餓の時です。
この時節このようなことを言うと不謹慎と思われるかも知れませんが、放射線はそれはそれは恐ろしい一瞬にして生命を破滅させる恐怖のシロモノですが、それは目には見えないだけに「これをなかったことにしたり」「過小に評価したり」ととりあえずは危機をごまかすことはできるのです。
しかし、飢餓・飢饉はより物理的に、そして古典的ではあるのですが、私達にとってストレートに気が狂うほどの受け入れがたい状況を生み出します。断末魔です。まさに江戸時代に残されたあの「地獄絵図」の様相です。(実際には放射能の方が生命全体に与える殺傷力は絶大ですが。)

このようなことは起こってほしくないし、起こらない方がよいに決まっていますが、現状を十分に観察し考慮するとこれは起こると見るべきでしょう。

しかし大切なことは起こる起こらないということの検証ではなく、「備え」ということです。日本でもほんの少し前、戦前くらいまで当たり前に「三年分の食糧の備蓄はしておけ」と言っていたそれです。

本当なら今や立派な近代国家?となった日本ですから、国が政治レベルできちっと対処するべところですが、もういけません。どういいように解釈したところで、この国の指導者にはこのことに対処することを期待することはできません。あのTPPしかりですね。

ですから一人一人の心構えなのです。覚悟なのです。
物理的に準備した者、さらに精神的に覚悟を決めた者にもやはり危機は訪れるかもしれません。しかし、同じ状況にあったにせよ備えがあれば慌てず対処できるということを私達は少なからず経験則として教えられているはずです。

そして、もうここにきては行動することです。だめなものはダメなのです。潔く(いさぎよく)きっぱり決別するモノとは決別し、右回転を左回転にせねばならないのです。

たった今から、今ここからです



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Posted by 大谷 真洋 at 18:16│Comments(0)農と自然
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